ソムニウム


 みんみんじゅわじゅわかなかなと蝉が鳴き、刺すような日差しが照り付ける夏の日。
 終業式も終わり誰もいない放課後の教室でこそこそ顔を寄せ合う三人組が居た。
「でもよ、肝試しつったってどこにそんなホラースポットがあるの」
 めんどくさそうな表情を隠しもせずスマホ片手に聞くのは夢成彼方。隔世遺伝である青い目と、日本人特有の黒い髪を肩口まで伸ばし後ろで一つくくりにしている。
「都内なんだからどこにでもあるだろーが。廃墟とかさあ」
 同じくスマホを手にしているも、真剣にホラースポットを検索しているのは井口豊。短くつんつんした黒髪に幼い顔立ちだ。
「行くのはいいけど、ガチで怖いのはちょっと」
 少し怯えたように眉根を寄せたのが原田圭太。三人の中でも一番体格がよく筋肉もついている、そんな彼はちょっとばかりびびりだった。
「お前らやる気なさすぎかよ~。高校最後の夏休みだぞ。楽しいことしようぜ楽しい事」
「それには賛成だけど……なあ?」
「な」
 明らかに乗り気ではない親友二人の連れない言葉に、豊はがっくりうなだれる。少しだけ顔を上げ縋るような視線を向けるも、片ややる気なし、もう片方は怖がりときたものだ。
 攻め口を変えよう。スマホをぎゅっと握りしめた豊は二人をしっかりと順番に見つめた。
「なあ、俺ら幼稚園からずっと一緒だったろ。高校も、一緒にしようとか言うまでもなく一緒だったじゃん。でもさ、大学、専門、就職。色々あるけど、これからはなかなか会えなくなる」
 珍しく真剣な言葉に、二人は思わず顔を見合わせた。
 そんな反応に、豊はぐっと眉を寄せ口を開く。
「なあ、いいだろ。俺は大学に行くから、バイトももっと忙しくなる。勉強もしなきゃならねえ。夏休み終わったら、あんま遊べなくなるんだよ。な、いいだろ?」 
 彼方と圭太がもう一度顔を合わせ、同時に息を吐く。それを見た豊がびくりと肩を震わせるも、向けられた視線は温かいもので、安堵の息をばれぬようそうっと吐き出した。
「なんっだよ水くせえなあ。ついでに俺は就職」
「最初からそう言ってくれたら、まぁ、比較的怖くない場所なら喜んで行くのにな。僕は進学だ。専門だけどな」
 親友たちの言葉に、思わず胸が熱くなる。それを隠すようにそっぽを向いて、豊はぽそっと呟いた。
「んだよ、全員ちげーじゃん……」
 残念そうな声音に「んだよ俺(僕)のこと大好きか」と同時に言ってけらけら笑いだすのを見て、豊も笑った。
 笑顔のままスマホに向き直り、ピックアップしておいたサイトを見せる。
「こことか、あんま怖くないらしいんだよね。霊障があったとかそんなのも聞かないし、雰囲気ある程度なわけ」
「ふーん……、わりと近いじゃん。なら俺もじーちゃんに怒られないで済むかな」
「ああ、夢成のじーちゃん何気厳しいもんな。昔僕ら三人で馬鹿やった時とか怖すぎて泣くかと思ったぞ」
「あれマジで怖かったわ。普段はめっちゃお茶目なのになー」
 手を顎に当て考え込んでいた彼方が、あ、と声を出す。
「ソムニウムとか大丈夫かな」
 その単語に、二人も考え込むよう黙ってしまった。
 ソムニウムは、人を襲う化物である。
 世間一般にはそう伝わっており、襲われる人物も決まっている。
 化物に対抗する為、特殊な能力の宿った武器を用い退治する。そして、その武器を使える資質を持つ人間が狙われるのだ。
 でも、と口を開いたのは圭太。
「資質検査、してるでしょ。僕はないぞ」
「おれもー」
「俺も……。でも、ほら、じーちゃんってソムニウムの存在を世間に広めて、法整備までしっかりさせたやべーやつじゃん」
 ああ、と頷いたのはどちらだったか。
「絶対反対されると思うんだよね。……それに、ほら。じーちゃん、若い頃は前線で戦ってて。俺のとーちゃんとかーちゃんも、ばーちゃんもそれで死んでて。すっげえ過保護だからさあ」
 気まずい顔で黙りこくった二人に、彼方はにやっと笑う。
「だから、嘘ついて抜け出そうと思いまーす!」
「おっまえ殺されるぞ」
「僕は知らないぞ、だがそこに痺れる憧れる!」
 お通夜テンションから一転。
 上がり切ったテンションを前に止める人間は一人もいなかった。
 何より彼らは高校最後の夏を満喫しようとしている、ただの学生に過ぎない。
 仲良し三人組は、馬鹿三人組とも呼ばれていた。
「いつ行く? 俺今夜暇」
「僕も今夜なら親がいないし余裕で出れそうだ」
「おれも夜暇よ、ちょー暇。終業式の日にバイトとかやってらんなくていれてねーの」
 知らずのうち顔を近付け、三人はにやにや笑った。
「けってーい!」
 揃った声にけらけら笑って。
 今夜の予定が決まったのだった。

 

 夕飯はカレーだった。
 祖父である夢成修は料理が得意ではなく、彼方が作ることの方が多い。だが、彼方は祖父の作るカレーが好きだった。
 これでもかというほど肉が入っていて、雑に大きく切られた野菜は食いごたえがある。
 成長期男子には大変ありがたい一品だった。
「あ、そうだじーちゃん」
「どうした?」
「今日、豊と圭太と遊ぶ約束してんだよね。行ってきていい?」
「ふーむ……」
 スプーンを手に悩む祖父に、彼方は内心焦っていた。
 彼方が思うに、化物討伐なんて異世界の話だ。現実にあるとはわかっているし、連日ニュースで死亡報告が流れたりしている。実際自分の両親は死んでいる。
 けれど、それも物心つかない頃の話で、両親の死すらも遠い世界の話にしか思えなかった。
 しかし、それを現実として生きてきた祖父は、勘がよく嘘を見抜く。
 バレたら三人揃ってお説教コース。
 それだけは避けなければならない。
「だめ? だめならいいんだけど……」
 演技ではなく、ちょっとだけ落ち込んでしまった彼方の肩と眉が下がる。
 それを見た修は、にこっと笑った。
「いいぞ、行ってきな。ただし、危ない場所には行かないこと。いいな?」
「やったあじーちゃん大好き!」
「ううん、反抗期をどこに置いてきたのやら」
「あはは……」
 反抗期真っ最中で、数時間後には約束を破ります。
 なんて言えるわけもなく、苦笑するにとどめる。
 そんな彼方を胡散臭そうに眺めていた修だったが、そうだ、とこぼす。
「どしたのじーちゃん」
「今日はかつての後輩と会う約束をしててな。帰るのは遅くなる」
「へえ、後輩。じーちゃんもう九十超えてたっけ、その人何歳なの?」
 再び考え込むしぐさを見せた修に、彼方はこてりと首を傾げる。
 後輩の年齢もわからないくらいぼけてしまったのか、それにしてはまだまだしっかりしているし。
「失礼なこと考えてるだろ、あー、二つ上だったよ。確か。若作りが得意でな。まだまだ若く見える」
「二つ上で、若い……?」
 ということは、九十代半ばか後半か。祖父の年齢を覚えていないが、九十代であることは確か。確かに年齢より若々しく足腰もしっかりしているが、頭は真っ白、手足はほっそりとしたおじいちゃんである。
「ま、会う機会があるかは知らないけど会えばわかるさ」
「へえ、名前は?」
「そのうち教えるさ」
 いつの間に食べ終わったのやら、にやにや笑った修は食器を流しに下げた後部屋へ戻ってしまった。
「若いおばあちゃん……?」
 対し、残された彼方は何を言われたのかよくわからないいまま、スプーンでカレーを掬った。
「ま、いっか」
 馬鹿三人組が馬鹿たる由縁は、物事を気にしないことも一端を担っている。大概の場合、やってることが馬鹿だからなのだが。
 なにはともあれ許可はとった。
 ならばあとは決行するだけ。
 食べ終わった食器を下げ、洗った後家を出るべく持って行くものリストを脳内で作り上げる。
 懐中電灯は必須、財布、スマホ、あとは何が必要だろうか。
 普段鞄などを持ち歩かない彼方だが、さすがに今日は必要だろう。
 家を出た後懐中電灯を買うという選択肢もあるが……、いや、そちらの方が修にバレる可能性が低くなるかもしれない。
 圭太のビビりっぷりを知っている修ならば、怖いってうるさくて。などと言えば納得してくれるはずだ。
「よし」
「なにがよしなんだ、なにが」
「うぉっ!」
 背後から聞こえた祖父の声にびくっと全身が震えた。
 振り返れば、きっと問い詰められる。
 そう感じた彼方は、皿洗いをしながら声をあげる。
「びっくりしたじゃんじーちゃん、皿割れたらどーすんの」
「そりゃすまんかったな。んで、そんなに考え込んでどうした」
「今日初めて聞いたんだけどね、圭太も豊も違うとこ進学するんだってさ。毎日馬鹿やれんのもこれが最後かあ、って思ったら気合入っちゃって」
 嘘ではない。
 これで誤魔化せるだろうか、とどきときしていた彼方は、頭にのせられた優しいてのひらに違う意味でどきどきすることとなった。
「馬鹿やれんのは若いうちだけだよ。ほどほどにな。マジでガチの馬鹿やったらタコ殴りだからな」
「がってんですじーちゃん!」
 若い頃化物との戦いを前線でやっていた彼は、やると言ったらやる。歳だろうときびきび動く彼にかかれば、体を何一つ鍛えていない彼方などいいサンドバッグだろう。
 一瞬だけ脳裏に、廃墟浸入は不法侵入……マジでガチの馬鹿。という言葉がよぎったがなかったことにした。
 乗せられたてのひらに力が入り、頭がみちみち軋んでいる気がする。しかしそれも一瞬で、再び柔らかく頭を撫でられた。
「それじゃあ行ってくるよ。後輩はまだ前線にいるから、話を聞くのが楽しみだ」
「えっその歳で!?」
「あはははは」
 思わずスポンジを落としばっと修を見るも、朗らかに笑いながら玄関へ続く廊下へと消えていった。
「九十半ばから後半の、現役おばあちゃん……?」
 ソムニウムに劣らずの化物じゃなかろうか。
 脳裏に筋骨隆々のおばあちゃんがよぎるも、ぶんぶん頭を振って投げ捨てる。
 それでもしがみつく謎のおばあちゃん像に、溜息一つ。
 スポンジを拾い上げ、皿洗いに集中する彼方だった。