彼方が待ち合わせ場所についた時、既に二人は揃っていて、妙にそわそわした雰囲気で彼を迎え入れた。
「おっそいぞ彼方! 待ってたんだからな!」
「彼方、こいつは頼りにならない。お前だけが盾なんだ……!」
「いや人を盾にすんなよ圭太。つか早いなお前ら、待ち合わせには十分の時間だろ」
 ポケットにいれたスマホで時間を確認すれば、待ち合わせより五分も早い。それよりも早くここに着き、そわそわしている二人は一体何分前に来たのやら。
「いやあ、楽しみでさあ。圭太絶対叫ぶだろうし~」
「多分叫ぶ……僕は知っている、詳しいんだ……」
「あーあーびびってら……。まいっか。行くか~」
「おー!」
 三人揃って拳を突き上げ、目的地へと歩を進める。
 待ち合わせ場所を目的地から近い場所にしたため、五分も歩けば辿り着くだろう。
 一番最初についた豊がコンビニで買った駄菓子を開けながら歩む道のりは、最高に楽しかった。
 そうして辿り着いたのは、インターネットに掲載された写真通りの見た目をした廃墟。
「ここが……ホラースポット……!」
「圭太ぁ、そんな構えんな? 怖くなるだけだぞ~?」
「しかし、しかしな豊。怖いものは怖いんだ……」
 ちら、と見ただけでもそれなりに敷地面積が広く、月明かりすらも差し込まないだろうことが容易に想像できる。
 階層は五階建てとそうでもないが、これを探索するとなると骨が折れるだろう。
 結局家の懐中電灯を拝借してきた彼方が、リュックから取り出しにやりと笑った。
「ちゃらららっちゃら~。懐中電灯~。一つしかないけど十分でしょ」
「さすかなた。おれ忘れてたわ」
「コンビニで買おうとして忘れていた……。さすかなた」
「さすおれさすおれ。これはびびりな圭太くんに授けよう」
「ははーっ」
 こうべを垂れ恭しく受け取る圭太に馬鹿笑いをする豊。
 いかにも重要で貴重なアイテムっぽくゆっくり渡す彼方も、にやけ顔が隠せていなかった。
「一応家で確認したけど、ちゃんとつくでしょ?」
 彼方の問いに圭太がかちりとスイッチをいれる。
 光度はそれなりにあり、廃墟探索でも役立つことは確実だろう。
大丈夫だ、問題ない。まだ舞える」
「舞ってすらないんだよ今からだよ今から!」
「うるせえ僕の精神は既に恐怖で埋め尽くされている、恐怖を克服するという異業を成し遂げている僕は家を出る前からずっと舞っているんだ!」
「馬鹿だろお前ら。はよ行くぞ」
「あいよー」
「まっ、懐中電灯は僕が持ってるだろう! 先に行くな置いてくな泣くぞ!」
 既に泣きそうだ、という無粋なつっこみは口から出ないし、考えることもない。何故ならいつものことだから。
 いつものノリとテンションのまま廃墟に突入した三人を建物内から何者かがじっと伺っていたなんて、知る術もないこと。

 

 踏み込んだ廃墟内は静かで暗い。
 緊張のせいか張り詰めた空気に、誰ともなく唾を飲み込んでしまう。
 圭太は既にがたがた震えながら彼方の服をぎゅうっと握りしめ盾にしているし、豊も多少なり思うところがあるのか表情を強張らせていた。
 人間、自分より感情を乱しているものが居ると落ち着いてしまう習性がある。
 彼方は呆れ半分、仕方ないなぁという気持ち半分で圭太の手をはがした後握ってやる。ついでに豊の手も。
「はいはい、俺ちょー怖いから手握っててね」
「さすかなたあああ」
「さすかなた。顔のいい男は性格までイケメンってか。顔面偏差値をおれにわけろ」
 知らんがな、と返しつつ廃墟内をきょろりと見渡す。
 ガラスが割れた自動ドアを入ってすぐにあるのはエントランスホール。
 物はほとんどなくなっているが、せわしなく動く懐中電灯の明かりで照らされる範囲には段ボールやスナック菓子のごみなどがちらほら落ちていた。
「圭太、明かり動かし過ぎ。なんもわからん」
「それな~。大丈夫、彼方がついてるから」
「彼方様、哀れな子羊たる僕をお守りください……」
スケープゴートにされてる俺こそが哀れな子羊だが?」
「んっぶふ」
「ふふふふ」
 少しばかり張り詰めた空気が飽和する。
「全部の部屋回るんでしょ。じーちゃん飲みに行ってるけど、さすがに日付回ったら帰ってくるだろうしちゃっちゃか行こうぜ」
 彼方の言葉に二人は頷く。
 手を繋ぎ真ん中にいる彼方が一歩先に進む形で、エントランス横の通路へ足を運ぶ。
「な、なあ、そもそもここって元々なんだったんだ」
「あ、それ俺も気になる」
「えーっと確か、昔有名だった会社? らしいよ。規模が大きくなって本社を別にうつしたんだけど、そのあと入った別の企業が馬鹿やって倒産、買い手もつかないまま放置されて何十年も経過してるってさ」
 豊の言葉に、圭太が思い切り顔を顰める。
「それ、手入れされてないまま経年劣化で崩れる可能性もあるってことじゃ……? というか」
 と、圭太は懐中電灯の明かりを天井に向ける。
 照らされた部分は、どこを見ても欠けたりひび割れたりと、少なからずまともな状態ではなかった。
「床も酷いから、まさかとは思ったが……。これ大丈夫か? 別の意味で怖くなってきた」
「大丈夫っしょ、今まで崩落してないんだからいきなり今日崩落するとかないない」
「うーん。まぁ、大暴れでもしない限り大丈夫じゃないか? あとは地震とか」
 豊のあっけらかんとした、彼方の多少心配そうな声に、圭太はひとまず考えるのをやめた。
「神様仏様彼方様、僕をお守りください……」
「ねーえ、なんで毎回俺に祈るの? ご利益ないよ?」
 ぎゅむむっと強く握られた手が少しだけ痛むも、離すことはせず呆れ切った視線を向ける。その先にいる圭太は暗闇でもわかるくらい青白い顔をしていて、彼方も考えるのをやめた。
「え? なあ、今あっちの方になんかいなかった?」
「やめろ僕を殺す気か」
「さすがにしゃれにならねーよ豊。見間違いじゃないの?」
「や、本当に! なんか、黒いのが見えたんだって! お前ら見なかったの!?」
 圭太の握る力は更に強くなり、手が白くなってきた。同時に豊も握る力を強め、それだけではなく、小さく震えているのがわかる。
 つまり、嘘ではない。
「あー。帰る?」
「帰る! 今すぐに!」
「やっだよ肝試しだぞ行こうぜ!」
「お前ら正反対に動き出すな腕取れるだろ!」
 動きは止まったしなんなら若干距離を詰めたものの、彼方を挟んで睨みあいを始める二人。
「帰る!」
「やだ!」
「……はぁ」
 これみよがしに溜息をついても、互いしか目に入っていない二人には無意味だろう。実際なんの反応もされない。もう一度吸った息を深く吐き出して、二人から手を離す。
 ぱん、ぱんと顔の前で手を叩いてやれば、驚きの視線が二人分。
「はーいはいはい喧嘩しないの。俺も正直帰るのは賛成。お化けじゃなくても、廃墟とかソムニウムの住処になってるって授業で言ってたでしょ。俺二人が死んだらやだもん」
 最初はぶすくれていた二人だったが、死んだらやだ、という言葉を耳にした瞬間気まずそうに目を伏せた。
 最初に顔をあげたのは豊で、無理矢理笑顔を作っている。
「……まっ、思い出とかたくさん作れるしな! 今度彼方ん家泊ろうぜ、じーちゃんの作ったカレー食べたいし!」
 圭太も、気まずそうな表情のままこくんと頷く。
「釣りもいいな。海釣り、したくないか?」
「えー、俺今日カレー食べたし……海は悪くないな」
「は? ずっる。おれのカレーは?」
「そこになければないですね」
「彼方の家に泊った翌日海釣り、どうだ?」
「さんせー!」
 声が揃い、三人揃ってあはあはと笑いだす。
「はー帰ろ帰ろ。まだ時間余裕あるしどーする?」
「彼方ん家行ってカレーもらいたい」
「……正直ぼくも食べたい」
「ええ、二人分も残ってたっけ……」
 修はやはり歳だからか肉をよけて食べる癖がある。にも関わらず大量に入れられた肉は、全て食べ盛りである彼方の為。
 それをよく理解している彼方は、カレーが食卓にならんだ際たくさんおかわりする。
 記憶が確かなら二人分程度あったかもしれない、そう一つ頷いた彼方に二人がわっと声をあげた。
「温めなおさなきゃだし、さっさと帰ろうぜ。じーちゃんもお前ら相手ならカレーくらいどーこー言わないと思うし」
 にこにこ笑い、彼方が入り口に向かって歩き始める。
「じーちゃん、僕たちにもやさし、彼方ッ!」
 突然の大声、痛む背中。
 廃墟の床に倒れしたたかに体を打ち付けた彼方が、あいたた、と腰をおさえ立ち上がろうとし、なんなら文句を言おうとし、できなかった。
 開いた口は、閉じようとしてもうまく閉じることができず、魚のようにはくはく動かすことしかできない。
 化物がいた。
 懐中電灯はどこかへ転がって、スイッチが切れてしまったか、ぶつかって壊れたのかもしれない。
 暗がりでうすらぼんやりと見えるシルエットは、人間のそれではなく。
 腕のようなものから、何かが生えてぷらぷら揺れていた。
 ……あれは、圭太だ。
 大柄な体躯も、無駄に鍛え上げられた筋肉も。
 じゃあ何故、圭太の背中から腕が生えているんだろう。
 違う、化物から圭太が生えて……いや、そうじゃない。
 腕が、圭太の体を貫通し、持ち上げられているんだ。
「うわ、うわあああああ!」
 理解した瞬間彼方の喉から絶叫が飛び出てきた。
 決して叫ぼうとしたわけじゃなく、助けなければと強く思うのに。
「けいッ、圭太! けいたァ!」
 彼方の叫びで我に返ったのか、豊が化物目掛けて走り出す。急いで立ち上がり腕を掴むと、今までにないくらいきつい視線を向けられてしまい、一瞬たじろいだ。でも、そんなことをしている場合じゃない。
「ばっかお前、逃げるんだよ! 敵いっこないだろ!」
「じゃあ圭太を見捨てんのか!?」
「じゃあ勝てんのかよ! 言っただろ、言っただろうが! 俺は! 二人に! 死んでほしくない!」
「今圭太助けねえと、二人にはなんねーだろ!」
 いつまでも続くかにみえた口論は、どさり、ぐちゃバキッ。という音で止まった。
 ゆっくり、ゆっくり音がした方を見る。
「けい、た……」
「っそだろ……」
 怒りが消え、そのかんばせが絶望に塗れたのも仕方がないことだ。
 化物が、親友の頭を踏み抜いていたんだから。
「けいた、けいた、うそだ、あ……なんで……おれが誘ったから……」
「ばっか! 走るぞ!」
 すぐさま我に返った彼方が、未だ呆然としている豊の手を取り走り出す。
 本当は入り口に逃げたかったが、化物が道を塞いでいるため不可能。
 ならば、窓を探すか、なければ二階から飛び降りるしかない。
 マジでガチの馬鹿。
 その単語が、脳裏をよぎるのだった。

 

 走って、走って、ひたすら走って。
 行く先々に先回りしてくる化物は、暗くてよくわからないものの人間と呼べる容姿はしていなかった。
 しばらくの間呆然とし続け、手を引かれるだけだった豊もしばらくすると正気を取り戻し必死に走り続けた。
 そうして、戻って来たエントランスホール。
 床に転がっていたはずの圭太は姿を消していて、あれは夢か幻だったんじゃないかとすら思えてくる。
 けれど。
 来た時にはなかったはずの赤い液体と、ばきばきに割れて転がった懐中電灯が現実だと告げていた。
「はぁ、は……、ゆたか、あとちょっとだぞ……」
「やっめろよおま、それ、フラグ……」
 圭太を連れて帰ろう。
 逃げている最中、そう決めた。
 しかし、肝心の圭太がいない。引きずった跡もなく、一体どこへ行ったというのか。
「……、俺、じーちゃんに言う。じーちゃんなら、人動かせるから……」
「うん……」
 周囲を警戒しつつ、水たまりを避け入口へ向かう。
 二人に気配はわからないが、見た感じ誰もいないことだけは確かだ。
 彼方が建物内に気を配り、豊は入り口から顔だけをそっと出しあたりをきょろきょろ見渡す。
「誰もいなさそうだ……。大丈夫だ、彼方。安心していいぞ」
「よかった……。これで、帰れるな……」
 ほうっと安堵の息をつき、豊の名を呼ぶ。
 帰ってこない返事に、はてどうしたのかと頭を傾ける。
「豊、こっちも何もいないぞ。今じーちゃんに連絡するから」
 ポケットに手を入れ、安心させるよう笑顔で豊を見た彼方は、その表情のまま固まることとなった。
「おにごっこ! つかまえた!」
 ノイズ交じりのざらざらした声。
 月明かりに照らされた体は、木でできていた。
 突然の明るさで目がくらみ、更に逆光で認識できたのはそのくらいだった。
 いや、それよりも。
 枝のような、腕のようなそれがぐるりと豊の首に巻き付いていて、顔が青紫に染まり口からはぶくぶくと泡を吹きだし、豊の四肢から、完全に力は抜けていた。
「は、あ、え? はぁ? いないって……どこから……なんで……」
「ふたりめ! おにごっこ! お前があ、ほしい」
「ヒッ」
 やっとたどり着いた出口。
 なのに、また逆戻り。
 さっきまで励まし合っていた友達も、今はいない。
「くっそおおおおおおお!」
 叫びをあげ、来た道を全速力で走り抜けることしかできなかった。