11


 翌日。
 昼までたっぷり惰眠を貪った彼方が、ぼさぼさ頭のままリビングへ向かう。シチューのいい香りが漂うそこには祖父である修と、もう一人見慣れぬ人間が居た。
 黒の髪に、彼方と似た、でもそれよりは少し色素の薄い青い瞳。
 長身痩躯の男は、彼方を見てふわっと微笑む。
「夢成、彼方くん?」
「あ、はい夢成彼方です。ええっと、祖父のお客さんですか……? お邪魔でしたら戻りますが……」
 腹は減っているが、別段我慢できない程ではない。
 祖父が家に人を招くのは珍しい為、少しだけきょどきょどしてしまった。
「いい、彼方も食べなさい」
 立ち上がり、修自ら皿によそったシチューがことりと置かれる。
 そこまでされては部屋に戻れない。
 少しの気まずさを感じながら、ぺこりと頭を下げ着席する。
「彼方、こちらは紫焔くんだ」
「どうも、はじめまして。璃々さんから頼まれて来ました」
「っ璃々さん? 璃々さんは、大丈夫なんですか……?」
 ぐっと前のめりになる彼方を静かに見つめる紫焔が一つ頷く。
「もう大丈夫ですよ。今頃はゆえさんのところに居るんじゃないかな」
「よかった……。本当によかった……」
 思い返してみればそうだ。
 今日は帰れない、とは言っていたがそれ以降も帰らないとは言っていない。
 不安が募っているところに市井のあの言葉。
 誰にも八つ当たりできないが、八つ当たりの一つでもしたいような、ただただよかったとしか言えないような複雑な心境のまま、ええっと、と声をあげる。
「それで、璃々さんに頼まれて……って、どうしたんですか?」
 質問した後、急に腹が減ったような気がしてシチューを一口食べる。
 リブ肉の入った野菜たっぷりシチューは、安堵した空腹によく染みた。
「自分の代わりに色々教えて欲しい、って。多分璃々さんよりはメモリアについて教えられるんじゃないかな?」
「え、璃々さんは……?」
「さあ、後手に回ってるから色々調べるって言ってたけど」
 彼女の性格を考えると連絡の一つでもいれそうなものだが、それがないということはそれほどまでに余裕がないんだろうか。
 いや、そもそも起きてからスマホを触っていなかった。
 でも、うーん。
 もんもんとする彼方に、修が苦笑を漏らす。
「まぁほら、璃々ちゃんだし」
「なにその駄目な方向への絶対的な信頼」
「そうそう、璃々さんだし」
「なんでそう変な信頼があるんですか」
「璃々ちゃんだし」
「璃々さんだし」
 同時に聞こえた言葉に、はああ、と溜息が出た。
 人のことは言えないが、なるほど璃々の友人(多分)。
 璃々と親しい人間を修と混ぜるな危険の構図が確信に変わりそうだ。
「まぁとりあえず」
 という紫焔の言葉に顔を上げる。
 非常にいい笑顔をした紫焔が彼方をまっすぐ見つめていて、思わずどきりと心臓が鳴る。
「ゆえさんと……誰だっけ。ひなたちゃん? も呼んでるからそれ食べてからお勉強ね」
「! わかりました! すぐ準備します!」
「いやゆっくりでいいんだけどな……」
「彼方、急いで食べると喉に詰まるぞ」
「んぐ……、そんなベタなフラグ回収しないって」
「ま、ゆっくり食ってさっさと着替えるこった」
 そう言われ下をみやると、よれよれのシャツにジャージ。
 紫焔は顔がいい。
 そんな人物の前にこの格好で出てきたと思うとなんだかとっても恥ずかしくて、食べる速度を上げてしまった彼方はきっと何も悪くないだろう。

 

 ゆえは今それなりに機嫌が悪かった。
 せっかく璃々に会えたにも関わらず有無を言わせぬ呼び出し。しかしてそれも璃々から可愛らしく、お願い。と頼まれたら無碍には出来ない。
 コンビニのコーヒーで喉を潤わせつつ、夢成邸に向かうべく車を走らせる。
 璃々も共にいれば退屈やごちゃごちゃした気持ちを紛らわすことも出来ただろうに、ぱっと文字通り消えてしまっては何も言えない。
「ゆえさん、機嫌やばぁ……」
「……まぁ否定はしませんけれど。どうにも夢成おじいちゃんと相性が悪いんですよねぇ」
 ちら、と後部座席を鏡越しに見れば野菜ジュースを飲んでいるひなたと目が合った。
 にへ、と笑うその笑顔が一瞬璃々とかぶって、はぁっと溜息。
 そりゃあ似せているんだから似ているはずだ。 
 どちらかといえば、璃々のすっぴんと似ている。
「そういえば、化粧はそれで固定なんですか? 似せるなら垂れ目メイクでもいい気がしますけど」
「あー、考えたンすよそれ。でもあたしが惚れたときの姿がそりゃーあもうかっこよくて。なンで髪も化粧もこれっすね」
「璃々さんは、髪がくくれないと逆に邪魔、って長いのを好むみたいですけどね」
 あー。とひなたが頷く。
「それはめっちゃわかるわぁ。この長さ、縛ろうとしてもちょっとだけサイドが落ちたりとまぁ邪魔なンすわ」
「伸ばすか切るかしないんですか?」
「憧れを体現したいンでしません!」
「そうですか……」
 鏡越しに向けられる呆れた視線も一切気にせずじゅうー、と野菜ジュースをすするひなた。
 どいつもこいつもマイペースだ、と思いながら夢成邸の駐車場に車を停める。
「はい、つきましたよ」
「ありがとうございまーす!」
 車を降り、鍵をかけてひなたの少し後ろを歩く。
「あ、そーだゆえさん、色々教えてくれる人って誰なンすか?」
「紫焔さんといって……、そうですね。いい人ですよ。脳筋というか、殺意が高いというか、璃々さんとは仲がいいみたいですけど」
「へえ、ゆえさんとは?」
 ぴんぽん、ゆえの細い指が呼び鈴が鳴らす。
「まぁ普通? そこまで絡んだこともないですし」
 ひなたが言葉を返そうとし、扉が開いたことで口を閉じる。
「いらっしゃい! ゆえさん璃々さん元気そうだった?」
 出てきた彼方がにこにこと二人を迎える。
「元気そうでしたよ。とりあえずお邪魔すればよろしいですかね?」
「お久しぶりですゆえさん。庭の方で色々やるんで、そのままそっち来ていただければ」
 彼方の後ろからひょっこり顔を出した紫焔に、ひなたの目が釘付けになる。
「かっ……顔……よ……ひぇっ……」
 あわあわとゆえの後ろに隠れた彼女にゆえは苦笑を、彼方はきょとんとした表情を、紫焔はといえば。
「はじめまして。これからしばらく色々教えることになるけど、よろしくね」
 わざわざ隠れたひなたの顔を覗き込みにこりと笑顔を向ける。そんなものを受けてしまった彼女は、すぅっと大きく息を吸って吐いて、また吸って、と心を落ち着けることに必死だった。
「ゆえさーん、あれなんですか?」
「恋する乙女といいますか、供給過多で死ぬオタクか判断に迷うところですね。まぁほっといていいでしょう」
「ひなたちゃんおもしろ。こーれは愉快ですわ」
 呆れた視線をまるっと無視し、庭へ向かう紫焔。
 彼方、ゆえ、ひなたもそれに続こうとし、振り返った紫焔が笑ったのが見えた。
「いや物騒すぎませんかね? 私非戦闘員ですけれど」
 彼方とひなたの目には、紫焔が消えたようにしか感じられなかった。
 笑ったかと思ったら次にはゆえの目の前にいて、何故か拳を向けているしゆえはそれを平然と受け止めている。
「非戦闘員って柄ですか? 俺ぁあんたとも戦ってみたいんですけどね」
「勘弁してくださいよ……。護身程度なら璃々さんから叩き込まれましたけど、それだけですよ」
「ほんとかな~。璃々さんもそうだけど、ゆえさんも美味しそうなんですけどねー」
 瞬間腕を覆った鳥肌に、思わず手を払いのけ彼方の後ろまで一気に下がる。
「彼方くん、パスしますね」
「しないで!? えっじゃあひなたパス!」
「えっえっ顔がよすぎて直視できねーンだが!?」
「俺はボールか? あと直視してもらわないと教えられないんだけどなー……」
 はじめたのが自分とはいえ、収集がつかなくなりそうだ。
 わっしわっしと頭をかき混ぜた後、庭方面へ歩きつつちょいちょいっとみんなを手招きする。それで素直に集まるんだから非常にやりやすい。
 それなりの広さのある庭に辿り着き、ぱんっと手のひらを合わせる。
「はい、今日からせんせーですけど、とりあえずエモノを出してください」
 その言葉に、彼方はナックルを、ひなたは短刀を取り出す。
「ちょっと順番に貸してもらっても?」
「どうぞ」
 先に差し出したのは彼方。
 それを受け取り、様々な角度から眺めたり、撫でてみたり。
 しばらくそれを続け彼方に返却し、ひなたからも短刀を受け取り同じようにした後、こくりと頷いた。
「大体わかったわ。まずひなたちゃんね。その子、なんというか人を守りたいって意志に共鳴起こしやすいみたい。ひっじょーに素直な子っぽい。でもちょっと面倒なところもあって、助けを請わないと助けてくれないところがある。そこらへんは特訓次第でどうにかなるかな?」
「え、すごいなんでわかるんですか?」
 きらきらした彼方の目に苦笑をこぼしつつ短刀をひなたに返す。
「まぁ……そういう感じで」
「あっはい」
 聞くなと態度で訴えていれば、聞くわけにはいかない。
 夢成彼方は、非常に空気の読める男だった。
「特訓次第、っていいますけど、常に助けを求めるようどうこうする感じですか?」
「いや……そうだなぁ……」
 ひなたの質問に対する適切な言葉がいまいち浮かんでこないものの、まぁいいかと再度口を開く。
「従えオラァ! って感じ?」
「……」
「なる……ほど……?」
「さすが璃々さんのご友人、言葉のキレが凄まじいですね」
「あれ今俺煽られた?」
 まさか、と笑うゆえをいったん視界から外し、理解できてないひなたも放置し、彼方へ視線を向ける。
「彼方くんの子は、わりと特殊だね。そもそも製法からして……、いやこれはいいか。すごい強い魂を使って作られてるけど、なんて言ったらいいかなー」
 うーんうーんと唸り言葉を探すも、感じたものが複雑すぎて言語化が難しすぎる為唸るしか出来ない。
 結局、まぁいいかと思考を放棄する紫焔だった。
「慈悲、と言ってもいい気がする。万物に対する慈悲? 全部を憐れんで、救いたいって愉快すぎる思想が見えるかなー」
 そんなの無理なのになー。とこぼした言葉は、幸か不幸か誰にも聞かれることはなかった。
「ええっと。魂……って、どういう……?」
 困惑する彼方の声に、紫焔も同じ表情を浮かべる。
「あそっち? そこから……? え、ゆえさん、人間ってそこらへん知らないの?」
「え、さあ……。私より璃々さんのほうが詳しいでしょう」
「おじーちゃーん! おじーちゃんちょっとー!」
 庭に面した窓をコンコンと叩けば、がらりと開き眉間に皺の寄った修が出てくる。
「うるさいぞ」
「おじーちゃん、人間ってメモリアの特性とかなんも知らないの? マジで? 製法も? 材料も?」
 ずずいっと詰め寄った紫焔の頭をおさえながら、あぁ、とひとつ頷く修。
「知らんな。まず知られていない。知れば使えんだろう」
「それはそう。え、これ言わない方がいい?」
「そこは任せるが……、既に言ったな?」
 困惑を顔に乗せる子供たちを見れば一目瞭然。
「いやだってー、知ってると思って」
「なわけあるか。製造部署しか知らんぞ。あと上の方」
「そマジ~? えっぐ……」
「まぁ、何かあればまた呼べ」
「はーい」
 カラカラと窓が閉められ、紫焔が開き直った笑顔を浮かべる。
「それはソムニウムの魂で作られています!」
「ぶっ」
「えっ」
「はぁっ?」
「なんなら――」
「それはやめておきましょう」
「うぉびびった!」
 いつの間に移動したんだろうか。
 一番遠い場所にいたはずのゆえが紫焔の腕を掴み首をゆるく振る。
「あーまぁ確かに刺激強いか」
「お願いなので人間の気持ちに寄り添ってくださいね。この子たちはまだ高校生ですよ」
「わっかいな~。そんな時期もあったわ」
「……? え、あなたもしかして記憶がある感じですか」
「まぁね」
 大人たちの意味深な会話についていけず、子供たちはこっそり顔を近付ける。
「やべーついていけねー。ひなたわかる?」
「顔がいいことしかわからん」
「あ、そう……。てか、魂って……。ソムニウムの死体回収するのって……」
「……ま、そーだろーな。いや、マジかよ……」
 短刀を、ナックルを、ぎゅうっと強く握りしめる。
 彼方はそうでもないが、ひなたはこれでたくさんの命を屠ってきた。
 性格ゆえ団体行動に向かず、学業優先の学生だからこそ、きっとそこまで数は多くない。
 けれど、屠った命が再利用されているだなんて、考えつきもしなかった。
「命が軽いって璃々さん言ってたけど、マジじゃん……」
「軽いってレベルの話か? あぁでも、まだ人間じゃないだけマシ……なのかな……」
「どうだろ……。どっちにしろ……」
 ずうん、と重い空気を背負った二人に視線を向け、紫焔に戻すゆえ。
 ほら見たことか、と言わんばかりのそれに、紫焔はかりかりと頭をかく。
「まじかあ」
 驚いたように呟き、そぅっとゆえに顔を近付ける。
「これ俺がソムニウムですって言ったらどうなるかな?」
「ころされてしまえ」
「ド直球の暴言! いやー泣いちゃった、俺泣いちゃったよ……」
 よよよ、と泣き真似をする紫焔にしっしと手を振り、ゆえは心底嫌そうに頬をひくつかせた。
「というか男に顔を近付けられたくないです、寄らないでください」
「それはそう。はー、切り替えておべんきょするかあ」
「璃々さんの友人関係はこれだから……」
 人、それ以外関係なく交友関係を築けるのはまぁ凄い事だろう。
 気の合う者の癖が強すぎて正直ついていくので精一杯だ。
 ゆえもまたそんな彼らから癖の強い者認定されているのだが、本人はあずかり知らぬこと。
 ぱん、ぱん。と手を鳴らし、紫焔が子供たちの視線を集める。
「はいはい、そんなわけでメモリアにも性格があります。それを理解することでより力を引き出すことができるってわけですね」
「せんせー質問でーす」
「はい彼方くん」
 名を呼ばれ上げた手を下ろした彼方が、こてんと首を傾げる。
「そもそもそれを知る手段とかほとんどないと思うんですけど」
「いい質問ですねー。使い続けると手に馴染む。そもそも、メモリアの相性って、性格相性みたいなものなわけ。相性の合わない人っているでしょ? あれと同じ。まぁ相性関係なく付き合いが長くなるほど人となりってわかるじゃない?」
「確かに。付き合いはそんなだけど、なんとなくひなたのことわかってきたし」
「右に同じく。なぁんとなく彼方のことわかってきたわ」
 二人の言葉にうんうんと頷き、続きを説明する。
「理屈とかじゃなくて、感覚で理解できるらしいよ。ついでにこれは璃々さんが言ってた。俺はちょーっと詳しいだけで適正とかないっぽいし、まぁ拳があれば事足りるし……」
 話が脱線し始めたことに気付き、さておき、と続ける。
「二人はちょっとでもその能力を引き出したらしいね? 大体の場合共鳴するきっかけはメモリアの持つ思考に寄り添ったり、彼彼女からの共感を得ること。あっこいつ同じこと考えてるじゃん力貸したろ。って思わせることであって、そこをクリアしたならあとはー、特訓ですね」
「特訓」
 彼方とひなたの声が被る。
 ここまでしっかり説明できるのに結局はそれしかないのか、と思ってしまった二人を置いてけぼりに、紫焔は笑う。
「そ。あとここまでで質問ある?」
「あ、じゃああたしから」
「はいどうぞひなたちゃん」
「ウッ顔が……。……えと、メモリアのことはなんとなくわかりました。あたしは長いことバイトしてるから、色んなメモリアを見る機会があるんですけど……」
「うんうん」
「……璃々さんがよくやってる瞬間移動的なものだとか、一瞬で物を消すのって、そうじゃないですよね……?」
「あ~俺ちょっとよくわかんないな~」
 それは最早答えだろう、と思わせるような言葉を言い、両の手で耳を塞ぐ。
 そんな紫焔の尻へばしんっと蹴りが入ったが、蹴ったゆえの方が一瞬だけ傷みに顔をしかめていた。
「いや固すぎでしょ鋼鉄かなんかで出来てるんですか」
「鍛えてるんですぅ。てかやっぱいい蹴りすんねぇ、ちょっとだけ、ちょっとだけだから……」
「やめろ悪食こっちに寄るな!」
「璃々さんに怒られちゃうからやめまーす。で、他に質問は?」
「あ、俺からも。特訓って、何するんですか?」
「そらー拳よ」
「こぶし」
「まず無理だと思うけど、俺にエモノ当ててみ。それが出来た頃にはいい感じに仕上がってると思うよ」
 いつでもどうぞ、と言わんばかりに構えた紫焔に、ゆえは安全圏へ避難する。
 彼方とひなたは顔を見合わせ、ぎゅっとそれぞれのメモリアを握り締めた。
「ほら、いつでもおいで? ゆえさんも混ざってくれていいんだけど、まぁそれは今度で」
「一生やらないので安心してください」
「残念だなー。……ほら、さっさと来いよ二人とも」
 向けられたのは、明確な敵意。
 肌で感じる程に強いそれは、今まで感じたことのないもので、それだけ彼が強いと理解できた。
 だからといってどうこうなるわけでもなく。
「よろしくお願いします!」
「しゃおらやるぞ彼方! 最近消化不良だしなァ!」
「ほんそれ! 頑張るぞひなた!」
 気合十分に武器を構えた二人に、紫焔はにんまりと笑みを深くした。