7
日課となりつつある朝のランニングを終え、シャワーを浴び、目玉焼きも一緒に作れるトースターでパンにベーコンを乗せて焼く。
先に目玉焼きを作っておいて、あと数分のところでパンをいれないと焦げてしまう。
そわそわ時間を確認しながらパンを入れ数分。
チン、と軽快な音にぱっと顔をあげあちあち言いながら取り出し、上に半熟目玉焼きを乗せ塩胡椒。
「いっただきまーす!」
カリッと焼けたパンに、熱を帯び少し縮んだベーコン。とろりと輝く目玉焼きの組み合わせは、彼方をにっこにこにさせた。
はふはふあちあちとゆっくり食べ、手を合わせてごちそうさまでした。
食器は下げ、洗い物が少ない為水で軽く流してシンクに放置。
その後は面倒な宿題を少しだけこなす、予定だった。
スマホからチャットの通知が来るまでは。
「……? あっめずらしゆえさんだ」
顔認証で開く前の画面に表示されているのはゆえの名前。
パスロックを外し内容を確かめる。
『おはようございます。彼方さんのことなので済ませてると思いますが、少し食事でも行きませんか? コーヒーの美味しい喫茶店をご紹介しますよ』
一度読み、二度読み、わっちゃわっちゃと縛っていない頭をかきむしる。
「何故……何故飯を食った、俺ェ……!」
最高に美味しい朝食だった。サラダがあれば完璧だったかもしれないが、レタスがなかったのであきらめた。
でも、もっと美味しいものが食べられたかもしれないのに。
しかし彼方は食べ盛り男子高校生。まだいける気がするという錯覚を強め、了承の連絡を返した。
十分ほどで迎えに行くというメッセージが来ていたので、短く「おけまるっす」とだけ返事をして短パンと着古したシャツという部屋着からジーンズと青のシンプルな半そでのシャツに着替える。
スマホと財布をジーンズのポケットにねじこみ、そろそろ時間かと外に出れば、最近すっかり見慣れてしまった車が家の前に停まっていた。
がー、と助手席の窓が開き、ゆえがにこりと笑う。
「おはようございます。今日は助手席へどうぞ」
「あっれ。今日一人ですか? 璃々さんは?」
扉を開け、勝手に閉まる窓を見ながら椅子に座り、ばたんと扉を閉めてからシートベルトをしっかり装着する。それを見届けたゆえがきょとりとしながら車を発進させた。
「あれ。言って……ませんでしたね。彼女は朝が非常に弱いのでまだ寝てますよ」
「あー、めっちゃ朝弱そう。わかる。夜会うと元気そうなのに朝とか表情死んでますし」
彼方がうんうん頷くのをちらと見て、ゆえがくすりくすり笑う。
「そうですねー。あれ起こすの大変なんですよ。よっぽど仕事がきつくない限り夜はスマホかパソコンでゲームしてるのでなかなか寝ないし……」
「あー……」
わりと人のことを言えない彼方だった。
今度会ったときになんのゲームをしているのか聞こうと思いつつ、ぼんやりゆえの顔を見る。
相も変わらず穏やかな笑顔は、それでも幸せそうだった。
「ま、私も人のこと言えないんですけど。あそこまでいぎたなくないので」
「ふうん……。あ、ゆえさんどんなゲームするんですか? 俺も結構やるんですけど」
「色々……? サバイバル系だったり、FPSだったり。ローグライクやRPG、面白そうなものはとりあえず手を出しますかね」
ぱっと彼方の表情が明るくなる。
「じゃあー、もしかしたらやってるゲームかぶってるかもってことですよね?」
「可能性はあるかもですね」
「そうなら今度一緒に遊びましょうよ! 二人と遊ぶの、絶対楽しいと思うんすよね」
それに、と続けるのはやめた。
一緒に遊ぶ相手は、いなくなってしまったから。
などと言うのは、さすがに憚られる。
これが璃々相手なら普通に伝えたかもしれないが、彼方にとってゆえは未だよくわからない人のまま。
「いいですよ。時間が合えばですけどね。ああ、璃々さんはすぐオーケーを出すでしょうし、仕事休みの日にでもうちに来ますか?」
「えっいいんですか!」
「もちろん」
にこりと笑ったゆえに、彼方もにこにこ笑みを深める。
嬉しさ九割、事実婚してる人の家にお邪魔していいのか? という疑問一割。でも、きっと二人はそんなことを気にしない。
彼方の頭の中は、なんのゲームやってるんだろう! というわくわくで満ち満ちていた。
しばらく車を走らせ辿り着いた喫茶店は、駐車場の数もそう多くなく、外装もなかなかに年季の入ったものだった。
からんからん、と音を立て開いた扉の先にはコーヒーの香りが満ちていて、彼方は思わず大きく息を吸う。
これまた年季の入った、さりとてレトロといえる程には手入れのされた家具。いくつか設置された観葉植物はどれも生き生きとしているし、何よりも。
店内に流れるジャズミュージックが、ひどく心地いい。
いい店だと、彼方はきらきらした目で店内を見渡していた。
こちらに気付いた、恐らく四十代くらいの男がにこりと懐かしそうな笑みを浮かべた。
「おや。いらっしゃい。いつもの席?」
「はい、いつもので」
「今日は可愛らしいお連れさんだね。隠し子?」
「ははは、違いますよ。お世話になった方のお孫さんです」
隠し子、でふきだしかけた彼方は、世話になった、でこてんと首を傾げる。
仲がいいとは思っていたけれど、そうだったのか。
璃々は自分のことをたくさん話すし、だからこそある程度彼方も突っ込んだ話ができる。ゆえは逆に自分のことを喋らない。
胃痛保護者としてにこにこ見守っているから喋る機会が少ない、ともいう。
「そう? 注文はあとでいくよ」
「わかりました。彼方さん、こちらですよ」
「はーい」
どうやら常連らしいゆえが座るのは、店の中でも一番奥まった場所にある席だ。
濃い緑のソファは、ふわりと彼方を受け止める。ファミレスにあるものとは大違いの感触に、内心でだけきゃっきゃ騒いだ。
こんな店で騒ぐのは恥ずかしいので、あくまでも脳内だけだ。
「そういえば朝食はとられたんですっけ? 私はまだなので適当に食べますけど。好きなもの頼んでいいですよ」
手渡されたメニュー表に目を滑らせる。
どれもお手頃良心価格で、彼方のお小遣いでも普通に食べられそうだ。家から距離があるから、今後来たくても来れない可能性の方が高いけれど。
「目玉焼きとベーコンのせたパン食べちゃったんですよー。なもんで、ケーキセット頼んでいいですか?」
「どうぞどうぞ」
チーズ、ショート、チョコ、無難中の無難なケーキは、絶対美味しいだろう。
ドリンクはジュース、紅茶、コーヒーと選べるらしく、それも種類がたくさんある。
コーヒーや紅茶の名前などさっぱりわからない彼方は、それでもせっかく大人のおにーさんと来ていることだし? と思い切り背伸びをすることにした。
す、とコルクのコースターが机の上に置かれ、その上に輪切りレモンが浮かんだ水のグラスが乗せられる。
「ご注文はお決まりですか?」
「私はいつもので。今日は紅茶の気分なのでダージリンをお願いします」
「俺はケーキセットお願いします。いちごショートで、飲み物はオリジナルブレンド」
「かしこまりました」
人好きする笑みを浮かべながら去って行った男の背を見送り、ゆえを見るとこれまた人好きする笑みで彼方を見つめていた。
「どしたんですかゆえさん。にっこにこじゃないですか」
「いやあ。飲めます? コーヒー。甘党みたいですけど」
「多分きっとめいびー」
自信なさげに視線をうろうろさせていると、朗らかな笑い声が目の前から聞こえる。
目をぱちくりさせた彼方が、グラスを持ちこくりと一口飲み込んだ。
「ゆえさん、そんな笑い方もできたんですね」
「そんなとは?」
「やほら、普段にこにこしてるかくすくすとか、ふふって笑ってる気がして」
「あー……。まぁ、面白ければ笑いますよ」
じゃあつまり普段は……?
疑問を頭の隅っこに押しやり、彼方はもう一度水を飲む。こんなに美味しいレモン水ははじめて飲んだかもしれない。
「あ、そうだ。今日は一応用事があったんですよ」
「用事?」
これを、と差し出された紙には、数字と言葉が並んでいる。
「これは?」
「どうやら心は決まったようですし。今まで見学していたのは、最初研修を受ける職員がすることです。ソムニウムを見て、戦える覚悟が持てるか。平和とかけ離れた日常にその身を置けるか。など、判断していただく期間ですね。そして、あなたは実際に倒してみせた。その間のお給料です」
「お給料!?」
ばっ、と置かれたままの紙を手に取って何度も読み返す。
おかしい、どう考えても桁がおかしい。
ただ見学しただけでもらえる額もおかしいが、一体討伐しただけの額が更におかしい。桁が違う。
ぐるぐるふわふわと混乱する頭で、なんとか言葉を絞り出す。
「あの……桁、おかしくないですか」
「璃々さんはもっともらってますよ」
「いや、あの、ちが……そうじゃなくて……」
ということは、ひなたもこの額を。
彼女は五年も学業と並行していると言っていた。
貯金、やばそう。
さらにくらくらしてきた頭をぐしぐしかき回していると、失礼します、という声と同時にすっと美味しそうなケーキが目の前に置かれる。
いちごはつやつや輝いていて、ふわふわのスポンジの真ん中にはスライスしたいちごが敷き詰められていることが見て取れる。生クリームも、下品にならない程度にしっかりある。
続いて出されたコーヒーも、あまり詳しくないながらにいい香りだと思える。
「ありがとうございます」
「いえ。ゆえさんはもうしばらくお待ちください」
「はい、待ちますね」
「では」
相変わらず、彼は音を立てず去って行った。
一旦金の話は忘れ、まずコーヒーを一口。熱くて舌を火傷しかけ、慌ててふうふうと息をふきかけ、改めて一口。
苦味が口の中に広がるが、同時に爽やかさもあった。
「美味しい……。美味しいけど俺コーヒー何もわかんない……。缶コーヒーと比べたら失礼かもだけど遥かに美味しい……。でもちょっと苦い……」
「んっふふ」
肩を震わせるゆえに首を傾げ、次にフォークを持つ。
す、と小さくケーキを切り分け口にゆっくり放り込む。
思ったより、生クリームは甘くない。くどくない甘さだろうか。しっとりしたスポンジと、甘酸っぱいいちごに合う甘さ。
「美味しい……えっ美味しい……うま……」
その後もくもくと食べ、コーヒーを飲み、また食べるを繰り返す彼方に、ゆえは口元を手で覆いぷるぷる震えていた。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます。彼、気に入ったようですよ」
「めっちゃ美味しいです!」
す、す、とサンドイッチの乗ったプレートや紅茶を置きながら男がにこりと微笑む。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
ほわほわ、と花が舞いそうな笑みに、彼方も同じ笑みを浮かべた。
やっぱり彼はにこにこと、音もなく戻っていく。
「ゆえさんのも美味しそう」
「一ついります?」
サンドイッチは三つ。ハムと卵、ツナとレタス、もう一つはトマトときゅうりだろうか。
「え、でもゆえさんおなか減らない?」
「大丈夫ですよ? 今日は久々の休日ですし。別段詰め込まなきゃいけない理由もありませんからね」
す、とプレートが彼方の方に寄せられたのを確認し、ううっと唸る。
「じゃ、じゃあ~、どれくれます?」
「お好きなものをどうぞ」
「な、悩む~! うーん、トマトのやつ! いただきます!」
すっと手を伸ばし、そのままぱくんっと一口かじる。
「ん~~~~~、うま……えっこの店なにもかもが美味しい……最高じゃん……やばみある……」
「うーん、語彙力まで璃々さんに似ていますね」
プレートを戻し、ティーポットに入った紅茶をカップに注ぎつつ苦笑いするゆえ。
元々璃々と修は似ている。
やはり、あの修に育てられたからには似ているんだろう。
にも関わらずゆえ自身含みもなく仲良くできるのは、あの破天荒さを肌で感じ反面教師にしたからなのだろうか。
璃々は、頭の悪いことを言っても引き際を見極めている。
修もそうだが、あれは言ってることがその何倍もめんどくさい。
「そんな似てます? 俺、じーちゃんとゆえさんの方が……わあサンドイッチ美味しいなあ!」
すっ。と細められた目に彼方はもくもくもしゃもしゃサンドイッチを食べた。食べてるから何も言ってないよ理論である。
はああ、と心底嫌そうな顔で溜息を吐き出したゆえが、まるで拗ねたように紅茶を一口飲みもそもそサンドイッチを口にする。
「……いや、よく言われるんですよ当時から。めちゃくちゃ似てるって。璃々さん曰く、めんどくさいとろと情けないところと無駄に愛が重くて歪み切ってるところがそっくり、だそうですよ」
「わっか、いえなんでもないです、ええ本当に。なんでもないです」
もぐもぐごっくんと残ったサンドイッチを飲み込み、コーヒーをゆっくり味わう。
ゆえのじっとりした視線は、確かに修と似ていた。
「はあ。そういうところ璃々さんに似てますよ。とりあえず脳死で発言した後爆速で撤回するだとか」
「わっかる~。よくやりますぅ……」
心当たりしかない。
食べかけだったケーキを頬張り、その美味しさに顔を綻ばせる。
そうして、はっと気付く。
「つまり……璃々さんはママ……ってコト……!?」
「その理屈で行くと私がパパになるんですけど……。いやそれはいいんですけど……」
「あ、いいんだ……」
「夢成修とかいうボケ老人が私の父になるのは嫌です」
「……」
ぶれないなー、この人。
ツッコミを放棄し、フォークに刺した最後の一口は大変美味しかった。
喫茶店を出てから、一度家に寄りゲーム機を回収したのち修に璃々とゆえの家に行くと告げた。
大変羨ましいと騒いでいたが、全てまるっと無視して車までダッシュする。
給料はとりあえず受け取るという形で話が落ち着いたのだが、起きた璃々からの電話で別の用事もあると言われ家に行くことになったのだ。
ついでにゲームの話題をすれば、是非持ってきてくれというので祖父への報告がてら寄った、ということの運びである。
そうして辿り着いた彼らの家は、とても大きなマンションだった。
一階の角部屋らしく、オートロックを解除したゆえのあとをついていく。
「ここ、一応職員に貸し出されているマンションなんですよ。寮のようなものですね」
「どっからどう見てもお金持ち御用達みたいなマンションが!?」
「建てたのは夢成さんですよ。彼のコネで一階の角部屋もらえました。というか彼方さんも大概なお金持ちの孫じゃないですか」
「それはそう。本当にそう」
二人で暮らす家は、別に豪邸というわけじゃない。しかし、セキュリティは万全だし二人で暮らすには広すぎるのも事実だった。
とはいえ、もらっているお小遣いは一般的な額。修はその点しっかりしていて、孫がしっかり周りに馴染めるようにと配慮しているのだが、彼方はあずかり知らぬ事。
「ここですね」
と、鍵を取り出しあける。
「ただいま戻りましたよー」
「お邪魔しまーす」
玄関からいい香りがする。芳香剤だろうか。わからないが、なんかとてもいい香りがするなぁと彼方は思考をやめた。
一般的な金銭感覚を持つ彼方は、結局お金持ちの孫。
目が肥えているのだ。
使われているものがいいものだ、ということはなんとなく見て取れる。
がちゃ、と音がして奥の扉から璃々がにっこり顔を覗かせていた。
「おかえりあんどいらっしゃーい。とってもゲームがしたくてそわそわしてる璃々さんだよ!」
「まずは本題からでしょう」
「わかってますぅ」
靴を綺麗に脱ぎ揃え、手招きする璃々のいる扉をくぐる。
その先はリビングとなっていて、無駄に広い空間にはおしゃれで質のいい家具が置かれていた。
グレイブルーのソファに座った璃々が、クッションを抱きしめながら二人に座るよう促す。
当然のように彼女の横に座ったゆえと、くの字に曲がったソファのはじっこに腰をおろす彼方。
驚くほどふかふかなそれに、給料の内容を思い出しそっと遠くを見つめる彼方だった。
「はい、まずはあれですね。私が見事寝過ごしたことによりゆえさんからお給料の話をしていただいたと思いますが」
「しましたね」
「あ、ガチの寝過ごしだったんですね……」
さすがにそれは聞いてない、とゆえに視線を向けたが、どこ吹く風。そっと諦め、璃々へと視線を戻す。
「命を懸けてまで戦ってほしくなかったので上に報告していません」
「っそですよね?」
「まっじでーす」
いえーいぴーすぴーす、とぴーすの一つもせず死んだ目をする璃々にぽかぁんと開いたままの口が塞がらなかった。
「まぁ、というのも昨日までの話。ひなたちゃんからいつ話が漏れるかもわからないし、夢成修の孫を弟子にしましたって報告を先日しまして。上の人間とちょちょっとお話し合いをしたら愉快なことが発覚したわけ」
愉快、と言いながらも彼女の目は笑っていない。口元には静かな笑みをたたえているが、なんなら冷え切った空気まで放っているように見える。
「なんらかの理由で後天的に資質を得ることはあるのよね。でも、それにしては夢成さんが気付かないわけなくなーい? って思って。確認したらなんとまぁ改竄の痕跡ありってことでさすがの璃々さんも内心ブリザード。爆速で夢成さんに確認したけど知らないっていうわけ。なんだよ過激派も行くところまで行ったんかおおん? って思ってたのに肩透かし食らったと同時に最悪のぱたーん露見ですよ」
まくしたてられた彼方は、少しだけ宇宙を背負ったし、内容が内容なだけにすっとたたずまいを直す。
「俺狙い、なわけないよね。じーちゃんだよね」
「多分ね? あの人、結果的に世間が受け入れたってだけで当時はかなり揉めてたっぽいし。恨みはそこかしこで買ってると思うよ。まぁあの性格だし」
あの性格、と言われたほうが納得できるのは何故なのだろうか。彼方は己の祖父が何もわからなくなっていた。
「久木さんを、娘さんを、娘婿さんを亡くした当時のあの人そりゃあもうびっくりするくらい荒れてたし、彼方くんだけは~ってそこらへんで言ってたし」
「言ってましたねぇ。でも、過激派は過激派でも、彼を崇拝する何者かの可能性もありませんか?」
「あるかもね。みんないなくなった、って言う彼から唯一の肉親である彼方くんまで消えないよう、危険が及ばないよう、って改竄した可能性もある。でもそれ、この仕事やってる人間が思うか?」
「ふーむ……。そうなるとやはり悪意ですかね?」
「私はそう思ってるけどね」
――やばい、ついていけない。
何をしゃべっているのか全く理解できなかった。
普段、いかにわかりやすく喋ってくれていたかを実感すると同時に、おずおず手を挙げる彼方。
「あのぉ……わかるように言ってほしいですぅ……」
「あ、ごめん。あーっとね、資質がないって言われて、安心してたでしょ」
「……そうですね」
その結果亡くなった親友たち。馬鹿三人組は、ただの馬鹿が残ってしまった。
ぐ、と拳を握り締める彼方に、ちろ、と大人二人が目を合わせる。
「個人差はあれど、早くても中学で資質検査をする。そこで資質があった場合、選択肢を出される。将来的に武器を取るか、取らないか。取らなくてもいい。平和に生きていい。けれど、資質を持つ以上どこかしらに命の危険があるんだよ。だから、絶対危険な場所には近付かないと思うんだ、普通は」
でも、と言葉を続ける璃々。
「仕組まれてる感じするよね。夢成さん狙いが可能性高いと思うけど……」
じ、と目を見つめられ彼方は少しだけ居心地悪く身じろぎする。
「私にはわかりませんが、璃々さん的に彼方さんは“どう”なんですか?」
「わっかんねー。いやマジでわかんねーんだよなぁ……」
つい、と視線は外された。
指先にくるくる毛先を巻き付けながら、
「上位者」
「所詮私なんて雑魚」
「いや私はつよつよだが……!?」
などとこぼす璃々についていけずゆえに助けを求めてみるけれど、彼はそんな彼女の頭を撫でることで忙しそうだった。
急に璃々がばっと顔をあげ、ゆえの手がぴくりと震える。
「っそもそも! それなら彼方くんができたてほやほやの赤子だった頃に気付いてるし! なんならもっと近くにいる夢成さんが気付いてうちらをセコムに仕立て上げるでしょう!」
「それはそう」
やっぱり会話についていけずどうすべきか考えあぐねていたが、赤子、という単語が気にかかりもう一度手を挙げる。
「あのー璃々さん」
「はいなんでしょう?」
「赤子……って、俺が赤ちゃんの時から知ってるんですか?」
「……」
ぼふ、とクッションに顔をうずめ固まった璃々。
もう一つあるクッションを顔の前にやり視線を遮るゆえ。
聞くな、と言っているようだった。
「聞いてほしくなさそうですけど、さすがに気になっちゃうというか……。あの……。二人って、何歳?」
「女性に歳を聞いたら怖い目にあいますって夢成さんから聞かなかった?」
「あー、昔の弟子からボッコボコにされたって聞きました」
「そう……」
「あ、いや、答えたくないならね、それで、ね……?」
本当は、凄く気になる。
今現在化粧をしていないだろう璃々は、普段より歳が上にみえる。普段は少しだけ垂れ目に見せているけれど、今はまるで猫のようにくりっとした造形をしている。
目元がはっきりしているぶん歳が上に見えるんだろう。あと、くまがすごい。
でもそれも、二十代半ばだとか、後半だとか。その程度だ。
逆にゆえは普段と変わらず、二十代後半程度だろうか。
大変失礼ながら、彼方はゆえのことを年下好きだと認識していた。
だって普段の璃々はもっと若く見えるから。
「ほらぁ、見た目で判断しちゃあいけないっていうでしょ? まぁそういうことにしておいて」
クッションを膝の上に置いた璃々がえへっと笑う。
「んー、まぁ璃々さんは璃々さんですよね!」
「わはーいい子、お姉さんが撫でてあげよう」
「やったあ」
彼方の前に移動する璃々に、彼も彼でにぱっと頬を緩める。
にこにこなでなで。
「普通その歳って恥ずかしがりませんかね? 反抗期をどこに置いてきたんですか?」
「あ、それじーちゃんにも言われた」
「……スゥーーー」
今度は、ゆえがクッションにうずもれている。
「ゆえさんも撫でる?」
「撫でていいですよ、ほら早く」
「はいはい仕方ないですねぇ」
ふわふわの髪がぐちゃぐちゃになっていくが、誰も気にしていなかった。
「とりあえず~」
と、璃々が頭を撫でながら左手でスマホを取り出す。
「時間はたくさんあるし、今日は休みだから仕事しないって決めてるんで、ゲームしよう!」
「さんせー!」
「職場に行くのは明日ですね。正式に社員証などもらえると思いますが、まだ学生なのでアルバイト扱いになります」
「おー、アルバイト! 俺やるのはじめて!」
その内容は命をかけたものになるのだが、残念ながらツッコミ不在。
机の上に置かれたゲーム機を手に、まずはモンスターでも狩りにいこうともくもく集中するのだった。