腰をひねり、拳を叩き出す。
 全力でやっているのに、その顔面に届くことはない。
 ならばと腰を落とし、蛇の部分でなく人間の部分を狙う。それも、軽々後方へ跳んで避けられてしまったが。
「だー、当たんね!」
脳筋かよ考えて動けこンのダボ! メモリアは武器だけどなァ、それだけ使ってりゃいいってもんじゃねーんだよ!」
 彼方の真横でビュンッと音がし、蛇人間が左に避けた。壁に当たり砕けたのは、瓦礫。
 先ほど璃々が壊したものだろう。
「なっるほど頭いいね! でも当てないでね! 合わせるわ!」
「おめーが馬鹿なンだよ! 当てない努力はするけどあたしのメモリアも近接なの! ああもうっ!」
 きいきい叫びながら瓦礫を拾い上げ、投擲。
 先ほどと同様あっさり避けられてしまったが、避けた先には彼方がいた。
「食らえオラ!」
 右の拳が腹へめり込む。重く、確実な一撃だったがまだ浅い。そう考えるより早く彼方が左手でアッパーをしようとし、ぞわりと総毛立つ何かを感じでばっと後ろへ下がった。
 がぱり、と大きく開いた蛇の口から見えない何かが放たれ、彼方の左腕をかする。
「――、ってえ」
「おい、なにやってンだよ!」
 かすっただけで腕がばっくりと避けだらだらと血が流れる。
 そういえば、最初の一撃は璃々が大鎌で弾いていた。そうして、彼女はなんと言っていた?
 はっと目を見開き、彼方が叫ぶ。
「ひなた、鎌鼬だ! 璃々さんが言ってただろ! あいつ口から風出してる! 腕、当たる直前すげえなんかこうびゅおーってなってた!」
「国語の授業を真面目にやれ! なンだよその語彙力! でもそうか、風か。初心者以下の分際でやるじゃん!」
「お前は道徳の授業頑張れよ……」
「あ!?」
「二人とも、ほどほどにねって言ってるでしょ……」
 少し離れた位置にいる璃々の声は、残念ながら届かない。
 やはり蛇人間は二人を相手しながらも璃々を気にかけているらしい。
 ばしばし刺さる殺気に、はぁっと溜息をつきいつでも手を出せるよう大鎌を握りなおした。
 璃々の考えは、こうだ。
 突っ走る彼方とひなた。
 相性最悪に見えるけれど、彼方に見せなかった別のメッセージには彼女の戦闘スタイル、ひいては性格など事細かく書かれていた。
 ひなたは恐らく、他人が死ぬ恐怖、そしてそれを上回る拒絶心を持っている。どうせ死ぬなら仲良くしなければいいじゃない精神だろうか。
 ならば大体なんでも受け入れる彼方をぶつけてしまえばいい。
 ああ見えて彼方は人を見る目がある。人の地雷を見抜くのがうまいとでも言えばいいだろうか。
 加えて、何故メモリアが近接なのかわからないくらい人をよく見ている。サポートがうまい、ともいえるだろう。
 今もそうだ。ひなたが前に飛び出して行った瞬間から彼方はサポートに徹している。
 瓦礫を投げたり、砕けて砂になったものを投げてみたり。時にはその拳を寸止めして注意を引いたりと、ひなたが戦いやすいよう蛇人間とひなたへの注意を欠かさない。
 あの口の悪さとすぐ突っ走る気質は、ああやって連携する気にはならないだろう。何もわからない彼方だからこそすんなり馴染むことができる。
 これがなまじっか戦闘を繰り返し生き残った職員だとそうはいかない。だからこそ璃々に話が回ってきた。
 問題点としては。
「そろそろ体力の限界かなぁ?」
 視線の先には、肩で息をする彼方が居た。
「おい、お前さっきまでの素早さどうした! 息あがってんぞ!」
「俺ランニングとか筋トレとか始めて一週間! 初心者以下です、どうも!」
 叫び返す彼方の声に先程までのキレはない。ぜいはあと吐き出される感覚は短く、決定打を出し切れないひなたが盛大な舌打ちをする。
「休んでな初心者以下! 足手まといはいらん!」
 後ろに下がり、いつでも対応できるようにと構えを解かない彼方を見て、もう一度小さく舌打ちが出た。
 ひなたの武器は短刀。懐に潜り込まなければ一撃を叩きこめない代物で、素早く後ろに下がり鎌鼬を放ってくる蛇人間との相性はあまりよくない。だが、それは彼方もだ。
 初心者以下と言い切った人間があそこまで動いていた。食らいついていた。
 それが、ひなたのプライドをずたずたにする。
「このままでいられるかってんだ、ダボ!」
 ひなたは、メモリアを選ぶときかなり時間がかかった。何を持っても気持ちが悪く、吐き気を催すものまであった。
 でも、これは違った。
 触った瞬間、これだと思った。
 握った途端、今までの気持ち悪さが一気に消えた。
 璃々は、相性がよければよいほど力を発揮すると、そう言い切った。
 ならば。ならば。
「力を、貸してくれッ!」
 相も変わらず蛇人間は余裕そうにしているし、注意は璃々だけに向けられている。
 あれだけ斬りつけても、彼方が拳を叩きこんでも、眼中にいれられない。
「こっち見ろや、璃々さんは美人でかっこよくて強くて素敵かもしれねェけどな、あたしだって可愛いだろ!」
「そういう問題じゃないと思うぞひなた……」
 短刀を構え走り出した彼女につっこみは聞こえないだろうが、思わず口走ってしまう。
 がぱり、蛇人間の口が開く。
 先ほどまで聞こえなかったしゅるしゅるという風の音が彼方にまで聞こえ、咄嗟に駆け出す。
「ひなた! なんか大技くるぞ!?」
「知るかダボ! 休んでろって、言っただろ!」
 最悪の場合、彼女を突き飛ばせばいい。そんな彼方の思考を知らず、ひなたは唇を噛み締める。
 彼女を支配するのは、悔しさだけだった。
「発動と同時なら動けねーだろ? その口、たたっ斬ってやらァ!」
 助けてくれと、力を貸してくれと強く念じる。それでどうこうなるかなどひなたにはわからない。けれど、やらなければ死ぬだけだ。
 てのひらが白くなるほど握り込んだ短刀がどくりと震える。
 勢いよく振り下ろした相棒は、蛇の口を切り落とした。
 ――なのに。
「っそ、だろ……?」
「ひなた、おい、おい!」
 血しぶきが舞い、体が地面へ叩きつけられる。
 確かに口は切り落とした。蛇人間は呻き苦しみ、ぼろぼろ涙をこぼしている。
「喉、潰せばよかった、な……。彼方、お前初心者以下にしては、すげえよ。死ぬなよ、な……」
 至近距離で鎌鼬を受けたひなたの体はぼろぼろだった。
 服は破れ、皮膚も深く裂け、だぷだぷ血が流れ続けている。
「り、りりさ、璃々さんッ!」
「……かわる?」
 いつの間にか横に居た璃々が、そっと彼方を伺う。
「い、え。ひなたをお願いします。あとそれと、助けるって、俺だけだったんですね」
「さてね。五分で戻るよ」
「わかりました。よぉっくわかりました。スパルタの内容に人の命をベットしないを追加してください」
「考えとくわ」
 ひなたを抱えた璃々がその場から姿を消した。
 文字通り、跡形もなく。
 それを見届け、彼方は深く深く息を吐いた。
「そうだよな、ゲームでもデスポーンって効率がいいし、命が軽いと味方を盾にしてつっこむってよくあるじゃんなぁ?」
 拳を握り構えなおした彼方は、もう一度息を吐く。
「理解できちゃうってことは、俺もそんな思考があるってことか……」
 今、彼方はそれなりに混乱していた。
「ゆえさんと一度しっかり話してみたいな。面倒とか思われそうだけど」
 なのに、心はどこまでも水平のまま。
「璃々さん、結構好き。話合うし、面白いし、教え方上手だし。さっきのはさすがにちょっとどうかと思う。何より見てて危なすぎるし、いつかとんでもないことやらかしそうで怖いんだ」
 理解できないだけで、感情は乱されない。
「ねーえ、蛇人間さん。俺って結構酷い人間だったみたい」
 ふっと浮かぶのは自嘲の笑み。
「ひなたさ、初対面から睨んでくるし口悪いし、知り合ってほんの少しだし。でもね、嫌いじゃないんだよ」
 しゅるしゅる風を集める蛇人間へ距離を詰め、拳を振り上げる。
「俺、戦う理由、できちゃったかもしれない」
 パチパチと、指にはめ込んだナックルから火花が散った。
「だから、ごめんね。お前に恨みはないよ」
 風の集まるそこへ拳を叩きこむ。
 てのひらが裂け、チリチリした痛みからじくじくと変わっていき、どくりどくりと鼓動を強く感じる。
 もっと、もっと奥深くへ。喉を潰さなければ、殺せない。
 痛い。けど、ひなたはもっと痛かったはずだ。
 一度拳を抜き、渾身の力で蛇人間の顔を蹴り上げる。
 今まで拳一辺倒で戦っていた人間がいきなり蹴るとは思っていなかったのか、それともいいダメージいが入ったのか、集まっていた風が霧散する。
 バチバチバチ。火花が強くなった。
 ちらりとそれを見、自然に頬が緩む。
 なるほど、これがメモリアの持つ力。
「死ね、このクソボケが!」
 バランスを崩した蛇人間へ迫る拳が燃え上がる。不思議と熱さを感じることはなく、そのまま振り抜いた。
 確実に叩き込まれた拳から炎が蛇人間へ移っていく。
 声にならない声を上げ、鎌鼬を放とうと風を集め、うまくいかず、うずくまり悶え苦しみ。
「ごめんなぁ、本当に」
 そのまま動かなくなった蛇人間の前にとさりと寝転ぶ。
「璃々さんのばーか、ひとでなし、効率厨、あとえーっと、んー?」
 あまり悪口が浮かんでこない。
 それだけ好意的に見ているのか、そもそも悪口を言う才能がないのか。彼方は考えるのをやめた。
「戻ってきたらめっちゃ言われててウケる。効率厨は否定しないわ。てかなんかそれ燃えてない?」
 ゲートを開き、いつも通り大鎌でよいしょよいしょと動かしていく。
 未だぱちぱちじゅうじゅう燃えている蛇人間だったものは、表面がこんがり炭色になりかけていた。
「俺がー、やりましたー」
「へえ。そのメモリア燃やせるんだ」
 ゲートを閉じた璃々が彼方の横に座り、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「……知らなかったんですか? これくれたのに?」
「え、知らない。てかそうね、ひなたちゃんも言ってたけど説明不足が多いなぁ」
「じゃあ今説明してりりおねーさん」
 ひなたのことはいいのだろうか、と少しだけ考えた璃々だったが、まぁいいかと冷たいペットボトルを彼方の頬に当てた。
「まずはお疲れ様。いちごにゅーにゅーあげる」
「わあいやった璃々さん大好き」
 半身を起こし、璃々の横に座り込む。肉の焦げた匂いが充満している中新しく広がったいちご牛乳に、二人してうわっと声を出す。
「あとで話す?」
「今でお願いします。多分俺も璃々さんも忘れるし」
「それはそう。んじゃね、メモリアね。メモリアが人間を選ぶのよ。己の性質に、より近い人間を」
「まるで意思があるみたいな言い方ですね」
「あるよ。ひなたちゃんは力を貸してって言った。気付いてた? あの時刀身が白く光ってたし、今まで通らなかった刀が通ったでしょ。請われた刀が、力を貸したんだよ」
 じゃあ、と指に着けたままのナックルに視線を落とす。火花はもう出ておらず、普通のナックルにしか見えない。
「彼方くんは、何を思ってた?」
「……あんま、必死で。でも、そう。ごめんねって思った。恨みなんてないのに、命を奪うから」
「そう……」
 ごくごくといちご牛乳を飲む。ペットボトルについた水滴が傷口に染みて、泣きそうになるのを必死に我慢した。
「命って軽いですね」
「軽いよ。どこまでも」
「なのに、奪った命は、重いですね」
「……軽いよ、どれも一緒。慣れてしまったら、みんな同じ」
 璃々が笑顔を向ける相手の命も、同じなんだろうか。
 そんな考えには、きっと蓋をした方がいい。
「ゆえさんも?」
 結局、聞いてしまうんだけれど。
「うん、同じ。ゆえさんが死ぬときは私も死ぬ時だから、あんまり変わらないかな」
「……そっすか」
「そっすよー」
 やっぱり、聞かなければよかった。
 心の底からそう思う彼方だった。

 

 車に戻った後しこたまゆえに嫌味を言われ、目が覚めたひなたからはぎゃんぎゃんと吠えられ、帰宅した後修には溜息をつかれた。
 傷口はゆえの持つ摩訶不思議アイテムによって綺麗に治療されたし、ひなたも同じく治療され、綺麗さっぱり傷痕すら残らなかったらしい。
 これは車で連絡先を交換したので、さっき送られてきたメッセージに書かれていたことだ。
 メッセージの一割は嫌味、三割はひねくれまくった感謝、残りは璃々への賞賛だった為一言「そうかおつかれ」とだけ返した結果既読無視されている。
 恐らく、しばらくはスマホの前で吠えているはずだ。
 そして、今。
 祖父の部屋の前で、ノックしようと拳を握り込んだまま動きが固まっていた。
 すうー、はあー。
 何度目かわからない深呼吸と同時に、扉が開いた。
「いやいつまでそうしてんだ。何か用事か?」
「いや、えっと、あの……」
 うろうろ視線を彷徨わせ、きゅっと唇を結んだあと、覚悟を決め口を開く。
「説得、しにきた」
「助けられた命を捨てにゆくのか?」
 鋭い視線に、ごくんと唾を飲み込む。
「命が軽いって気付いた。重いって気付いた。璃々さんが言ったんだ。弱い人間が守るなんてお笑い種。ひなたも言った。俺を守るほど強くない」
「……それで?」
「最初に会ったソムニウムに、言われた。お前の魂は特別だ、って」
 修が目を見開き、ぐっと拳を握る。
「じゃあさ、俺きっとまた狙われる。その時近くに居るのが強い人ならいいよ。でも、一人なら? 武器を持たない人間だったら? その人間が死を恐れない善人だったら? ……また、誰かの命を犠牲に生き永らえてしまうかもしれない」
「……」
「じーちゃん。俺、強くなりたい。一人で生きる強さが欲しい」
 握られた拳から力が抜け、ぽん、ぽん、と彼方の頭を撫でる。
「そう言って、娘は死んだ」
「――」
「一人で生きると言った娘が結婚すると言い出した時、嬉しかったよ」
 懐かしむような、幸せそうな笑顔に彼方の胸がきゅっと締め付けられる。何も、言葉が出てこない。
「お前を抱き上げる娘は幸せそうだった。旦那を眺める視線には慈しみが含まれ、向ける笑顔は幸せそのものだった。……璃々の笑顔を思い出せ。わかるだろう」
「うん……。ゆえさんに、向ける笑顔、だね」
 ふうっ、修が息を吐き出す。
「彼方、お前があの子とかぶって見える。生き急いで見える。それでも、止まらないんだろう。似ているな、本当に」
「……ごめん、ごめんねじーちゃん。本当に、ごめん」
「うるせーばーか。僕は悲しいからしばらく引きこもるわ。あの二人についてって勝手に強くなってろ」
「ありがとう、じーちゃん」
「……ふんっ。勝手にしろっ」
 拗ねたように、強く扉は閉められた。
 修の目にはきらきらしたものがあって、もう一度、ありがとうと呟く。
 感謝以上に罪悪感があった。
 これが、己を貫き通すということなんだろうか。ならば、この先もっとたくさんの罪悪感を抱くのだろうか。
 考えながら部屋に戻った彼方がなんとなくスマホを手に取る。
 するとそこにはゆえと璃々から別々に連絡が来ていた。
『おめーのじーちゃんなんとかしろ』
『嫌味と泣き言と孫の成長を喜ぶ長文メッセージを送られても困るのですがあなたのおじいさまはどうなってるんですか?』
 罪悪感は、秒速で消えていった。