夢成彼方は機嫌が悪い。
 普段は仏頂面で固く結ばれた口がこれでもかというほどへの字に曲がっており、頬杖をついたせいで寄った頬肉がそれを更に強調している。
 そんな視線の先にいるのは、彼方とは真逆で楽しそうな璃々。小柄な体躯でどう扱っているのか、身長程もある大鎌を自由自在に振るってソムニウムを刻んでいた。
 ――あれから一週間ほど経った。
 ナックルは変わらず彼方の手にあるし、家にいる時それを指にはめこんでみたりもする。なのに、使ったのは結局あの一回きり。
 安全圏から見学する戦いは、璃々が強すぎるせいなのかソムニウムが弱すぎるせいなのか、正直ちょっとだけ退屈だった。
 一日に何度も化物退治をしている璃々の体力を見て、絶対自分には無理だと筋トレを始めたし、苦手な早起きをしてランニングもはじめてみた。
 たったの一週間で筋肉がつきはじめたとは思わないが、それでも少しだけ体力は増えた。
 血が舞い、犬の形をしたソムニウムが倒れ伏す。
 璃々がそれに向かって手をかざしたかと思えば、半径一メートル程の黒々とした紫の空間が展開される。大鎌を使い犬を動かしその中に入れたと同時に、それは消えたけれど。
 ソムニウムの残骸は消えない。
 あの日の夜、璃々に教えてもらったことだ。
 戦闘職員に配布されている指輪は、ゲートと呼ばれる空間を作り出す。その中に死体をいれれば回収が可能。
 しかし、生きているものを投げ入れた場合命の保証はなく、めちゃくちゃ怒られると遠い目をした彼女は言っていた。
 本人は頑として口を割らなかったが、あれはやったくちだろう。
「おわったー! 彼方くんご飯いこー!」
 にこにこしながらぶんぶん手を振る彼女に、彼方は隠しもせず溜息を吐き出す。
「あれー、ご機嫌斜めじゃん。退屈?」
 スマホでゆえを呼び出しながら近づいて来た璃々に、もう一度嘆息。
「退屈ですよそっりゃあね」
 仕事があれば連れていく。その約束を取り付けた際出された条件は二つ。
 一つ。何があっても手は出さない。
 二つ。文句は言わない。
 二つ目は現在進行形で破られているが、それなりに我慢の限界だった。
 いや、聞かれたことを答えただけだから破っていないという認識なのかもしれない。少なくとも璃々の中では。
「戦いたいかい?」
「まあ、そりゃあ。見ているだけって、もどかしいです」
 璃々は危ない戦い方をする。
 腕の一本や二本くらい犠牲にしてもいい、なんなら命が消えない限りなんでも犠牲にしたっていい。そういう危うさがある。
 傷をこさえることはまずないものの、何故傷がないのか逆に不思議なくらいだった。
「そうねぇ……」
 と、璃々は唇に指をあてる。
 ここ一週間でよく見る光景だった。
 彼女は、考え込む際唇を触るか毛先をくるくる指に巻き付ける癖がある。
 そんな癖がわかってしまうくらい、共に行動しているのに。
「次のお仕事が弱そうなやつなら回してあげる」
「ほっほんとですか!」
「ほんとほんと。ゆえさんにもねぇ、そろそろ不満たまってそうですよって言われてんのよねー」
 尻尾があればぶんぶん振っているくらい嬉しそうな彼方に、璃々は苦笑をこぼす。
 かつ、こつと革靴の音が聞こえ、二人してそちらを向けばゆえがにこにこ笑っていた。
「噂をすれば、といいますが私がなんですって?」
「俺がめちゃくちゃ不満ですって話してました!」
「でも璃々さん的に戦わせるの不満です!」
「あ、はい。帰りますよ。時間的にお昼時ですね。ラーメンの気分なんですけれど」
 あっさり流され唇を尖らせた二人だったが、ラーメンという単語にきゃあっとてのひらを重ね合わせる。
「彼方くん好きなラーメンなにー? 私ねぇ、とんこつ」
「チャーシューっすねー。ネギマシマシだとさいっこう」
「仲いいなお前ら」
 呆れたように言い残しその場から立ち去るゆえを急いで追いかける。
 なにせ、彼はドライバー。置いていくことはないだろうが、彼がいないと移動手段がなくなるのだ。
 璃々と彼方は性格が合う。
 彼方は顔の作りからして常日頃仏頂面だが、別に感情の起伏がないわけではない。なんなら、表情豊かな方だ。
 璃々もそれは同じで、喋っている時は常ににこにこ笑顔を保っている。しかし、喋っていない時やぼんやりしてる時は怒っているじゃないかと勘繰ってしまうほど表情がない。
 それに加え彼方の祖父と仲がいい璃々は、なんだかんだ血縁関係のある彼方とも相性がいいのだった。
 対してゆえはよくわからない人である。
 にこにこしていることも多いが、璃々に向ける笑顔とその他に向ける笑顔の温度差が激しい。あとは大体疲れ切っているイメージが強い気がする。
 それはテンション高くよくわからないことをし始める璃々に対するものだったり、それに乗っかる彼方に向けられるものだったり。
 本人は否定するだろうが恐らくあれ。
 胃痛保護者枠。
 ぴろりん、ぴろりんと璃々のスマホが鳴る。
「マジいい加減にしろよ、私は高校で言うところの非常勤講師レベルの扱いだろ最近仕事多すぎ」
「璃々さんてそんな感じだったんですか?」
「璃々さんは強いので、何人も殺しているソムニウムを当てられがちなんです」
「え……」
 はじめて聞く情報に彼方が顔をこわばらせる。
 つまり、見学が多かったのは。
 助手席に座る璃々を見ると同時に振り返った彼女がにへらっと笑う。
「次は弱いのちょーだいって言っとくから、気長に待っててほしいなあ。ごめんねえ?」
「や……その……、すみません、我儘言って」
 守ると、彼女は言ってくれた。
 確かにそうだろう。
 弱い彼方が共に戦えば足を引っ張るのは当然。
 よく考えなくとも気付いてよかったことだろう。
 彼女はかつて死んだと思われていた。
 きっと、同じことになる。もっと、最悪のパターンで。
 落ち込んだ彼方の頭を、助手席をがたんっと倒した璃々が手を伸ばし撫でる。
 完全に子ども扱いだが、修により甘やかされ育った彼方にはありがたいものだった。
「あ、そーだゆえさん」
 助手席を元に戻した璃々がスマホをぶんぶん振る。
「はいはい?」
「次の角右、んでまっすぐ行ったところにコンビニあるでしょ」
「ありますね。寄りますか?」
「一人拾って」
「は?」
 ゆえの顔はこれでもかというほど顰められていたし、璃々の笑顔も少しだけ怖いものとなっていた。
「次のお仕事なんだけど、あー、めちゃくちゃオブラートに包まれてたけど、独断専行の目立つ問題児の教育してくれってさー」
 赤信号で車が止まる。
 ゆえはスマホを取り出しメッセージを見て舌打ちしていたし、璃々はスマホをぶんぶん振っていた。
 車の空気が冷え込む中、璃々の手からスマホがぽいっと彼方に向けて投げられる。
 慌ててそれをキャッチすると、メッセージ画面が開きっぱなしだった。
『楠ビルにソムニウム出現。登録された魂の情報によると職員九人を殺害し逃走している者と一致。尚、位置情報に送った場所に居る職員を同行させること。名は里中ひなた。同行任務において職員との連携が取れず揉め事を起こすきらいがある為同行を願う。当人は青葉璃々に憧れを抱いているようなので、くれぐれもよろしく頼まれたし』
 すぅ、と息を吸い込む彼方。
「面倒なやつじゃないですかやだー!」
「あ、コンビニつきましたよ。あの人がそうですかね?」
 読んでいる間に問題児のいる場所へ辿り着いていたらしい。
「え待って璃々さんに憧れてる人間が俺に対していい感情持つわけないよね? おろしてもらっても?」
「逃げんな面倒ごとはみんなで共有って相場が決まってんだよ」
「そんな! 相場は! ない!」
「んじゃ行ってくるわー」
「私冷たいコーヒーで」
「俺いちごフラッペ!」
 叫びはまるっと無視されたので、せめてもの腹いせと少しだけ高いものを頼んでおく。
「あいよー」
 車から降りた璃々が、彼女と似た赤毛を持つ女へ声をかける。化粧で顔立ちを似せているのか、それとも元々なのか、遠くから見れば姉妹と見えなくもない。
 しかし違うのは、女の頭頂部は染めた痕跡である元の黒髪が少し見えていることと、璃々は腰まで伸ばしているが女は肩口で揃えていることくらいだろうか。
 一見仲良さげ、というよりは女が一方的にきらきらした視線を向けているだけにも見えるが……、ともかく一緒にコンビニへ入り、しばらく後女が袋を持って車まで戻って来た。
「ただいまー。はいコーヒー、んでフラッペ」
「本日はよろしくお願いします! 里中ひなたです!」
 車に乗り込む前ぺこりと一礼したひなたが問題児という言葉と結びつかない。
 そんな認識は、車に乗り込んだひなたが横に座る彼方へ胡散臭げな視線を向けたことですぐ覆ったのだが。
 視線は無視するに限る、と彼方はフラッペを口に含む。
 甘く冷たいいちごが口の中に広がり、思わずにっこりする彼方だった。
「どうもはじめまして。璃々さんの専属ドライバーをしているゆえです」
「夢成彼方です、よろしくお願いします」
「専属ドライバー……! さすが璃々さんです、専属の方がつくなんて」
 憧れの視線を散らすように璃々が手をひらひら振る。それも、ひなたからしたら“自分に手を振ってくれた”ことになるらしく、視線を強めていたが。
「専属ドライバーってことは、普通手の空いた人がやるってことですか?」
 彼方の不思議そうな質問に、隣から鼻で笑う声が聞こえた。
「なに、夢成ってことはあの夢成修の孫でしょ? そんなことも知らないの?」
「あ?」
 後部座席で火花が散り、前方に座る大人二人はこっそり溜息をついた。
「まあまあ。ひなたちゃんはこの仕事いつから?」
 アイコンタクトにより、憧れを持たれている璃々が対応することになったんだろう。笑顔の裏にめんどくさいという感情が透けている。
「はいっ、小学校六年生の時ソムニウムに襲われ、その際資質検査をしたら高いということで、中学一年生の時メモリアを選びました。今は高校三年生ですので、かれこれ五年と少しでしょうか」
「タメかよ……」
 思わずこぼれた言葉に、ぎっとひなたが睨みつける。
「だからなンだよ」
「別に……。喧嘩腰でしか話せないのかお前は……」
「お前じゃねーよひなたって親から授かった名前があンだよわーったかダボ」
 やりとりは小声であるが、前方には筒抜けであった。
「あー。ひなたちゃんも最初は何も知らなかったでしょう? 彼方くんがソムニウムと相対したのもここ一週間の話なのよ。だからあんまり責めないであげてね。今お勉強中なの」
 憧れる璃々からの言葉に、ひなたはぐっと黙り込む。
「……璃々さんが言うなら。わかりました。人間誰しも最初はあかちゃんですからね。仕方ないですね」
「こっの女ァ……」
「あ?」
「はいはいつきましたよー。私は待機ですがここからは命の軽い世界です。無駄な争いで命を落としたら、悔やんでも悔やみきれませんよ」
「……はい。すみませんでした」
「ごめんなさいゆえさん」
「二人ともいい子ですね。それでは、行ってらっしゃい」
 口論のせいでフラッペは飲み切れなかった。
 持って行くか迷ったが、彼方のメモリアはナックル。恐らく今回も見学だろうが、手が塞がるのは避けたいと置いていくことにした。
 車を降りると照り付ける日差しに、璃々が目を細める。
「あっついね。いつも通り廃墟だから、中入ったら多少涼しいでしょ」
「そうですね璃々さん!」
 かつかつと足音を響かせながらビルの中へ入っていく。
 扉は開かなかったけれど、璃々がつけているピアスを撫でると何故か鍵が開く。
「えっそれあたしもはじめて見ました! めちゃくちゃ便利ですね!」
「資質がなくても使えるやつだよ。最近は便利だね」
 キイィ、と軋んだ音と共に扉が開く。
 足を踏み入れ女性陣が周囲を警戒するも、肩透かしをくらったようにひなたが肩を落とす。
 中は一般的なビルのようで比較的綺麗なものの、やはり廃墟。全体的に埃っぽく、壁にはところどころひび割れが見られる。
「いませんね」
「そだね。まぁそのうち会えるって」
 歩を進めながら、そうだ、と璃々がこぼす。
「専属ドライバーの話が流れていたね」
「おしえてりりおねーさん!」
「任せなさい彼方くん!」
 こういうところが合うのだろう。そのノリをはじめて肌で感じたひなたは、目をぱしぱししていたが。
「職員に割り振られる仕事は、大体が近い場所にいる職員へ回されるわけ。でも、そうじゃない場合がある。さて、そうじゃない場合とはなんでしょうひなたちゃん」
「はい! メモリアで攻撃されたソムニウムは魂の形を自動登録されます。逆にいえば、攻撃を受けない限り敵の位置を捉えることも出来ず、生き残りがいない場合能力が未知数ということです。そうなると強い人材を派遣する。もしくは、誰も近い場所にいない場合ですね」
「はいよくできました。撫でる?」
「ぜひ!」
 わちゃわちゃと、少しだけ傷んだ髪を撫でながら璃々が再び口を開く。
「そもそも初対面の場合、職員が会敵したパターン、一般人が襲われたパターンがあるのよね。一般人の場合行方不明情報が警察に回るけれど、結局後手後手になって被害者が増える。被害者数は発見の遅さと繋がってくる。つまり、より魂が強く狡猾なソムニウムと考えられるわけよ」
 言いながらペットボトルの蓋を開け、喉を潤わせる。その後一瞬でペットボトルが消えたが、ひなたは璃々の顔を見つめていて手元など見ていなかったし、彼方も理解しようと頭を回していた為気付かなかった。
「とはいえど職員は大体訓練を受けたのち就職となるし、強いものは新入職員の師となり、大体ツーマンセルで行動するかな。師とならないものは人に教えるのが苦手だとか、偶然組んだ相手とやるのが好きとか、色々いる。なのでまあ、初対面でもランダムに手が空いてる人材に回されるん」
「なるほど、そこで登場するのが一般ドライバーということですか」
「そゆこと。逆に私みたいな個人行動してるやつは実力がある職員ってわけ。一人でも倒せることが前提。そういうやつには個人ドライバーがつくのよ。まあ、私は色々あってゆえさんじゃなきゃ嫌ですぅってゴリ押したし、当時の上司が同じく嫁だった久木さんじゃないと嫌ですぅってゴリ押した夢成さんだったので通ったようなもんだけどね」
「じーちゃんさあ……」
 聞けば聞くほど祖父に対する呆れが募っていくのは何故だろう。彼方には理解したくもなかった。
「璃々さんは」
 ひなたが、少しだけ困惑した視線を璃々に向ける。それを受けた彼女の瞳は、どこまでも凪いでいた。
「わりと、人間的ですね」
「そりゃあそうよ。人として生きて、はいはい構えて~」
 言いながら大鎌を構える璃々。
 遠くから飛んできた何かは、彼女の持つ大鎌で叩き斬られた。
「璃々さん、今のは!?」
「あー。風? あんまり斬った感じがしなかった。よくわかんね。飛んできたのはあっちだね。移動してる可能性もあるけど、ビルとかいう狭い空間でどこまで移動できるかわからんし。あっち行くか。彼方くんも、ナックルは外さないでね」
「わかりました」
「了解です」
 返事をしたのち、彼方はひなたに顔を寄せる。
「なあ、璃々さんさっきまで大鎌持ってたっけ? 急に出てこなかった?」
「あ? ……そういえば。つか、さっき璃々さんなんか飲んでたけど、あれどこ行ったわけ?」
 五百ミリペットボトルは一体どこへ消えたのか。
 黒のスキニーパンツにタンクトップという軽装で手には大鎌のみ。そんな璃々に物を隠せるわけがなかった。
「そういうメモリアがあるとか? 便利系みたいな?」
「さあ……。彼方だっけ。あんたもメモリア持ってるなら見たでしょあの数。あんなにあるのに個々の能力とかわかんないって」
「へえ……。そんなにあるんだ」
 ひなたの眉が寄る。
「へえ、じゃねンだわ」
「怒んない? 嫉妬しない?」
「あたしをなンだと思って、いやいい。言ってみな」
 深くなった眉間の皺を揉み、続きを促すひなた。
 多分睨まれるんだろうなと思いながらも、彼方は口を開いた。
「俺のメモリアは璃々さんがくれた。俺は璃々さんに命を助けられて、その時、仇うちしたくない? って、放り投げられたのがこれ」
「ンンン……、待て。まぁ待て。言ってみなって言ったのはあたしだ。オーケー。呑み込もう」
 その言葉に、おや? と彼方が思うより早く、ぎっと睨まれた。
「おめーマジでなんも知らなさすぎだろ。や、そんなこと言ったら教えている璃々さんを悪く言ってしまう……ぐぎぎっ……」
「おう聞こえてんぞお前ら」
 呆れ切った声音に、びくっと肩を震わせるひなた。
「あああ、あの、りりさ、あのあのあの……」
「いいのいいの。私教えるの苦手だからさ。何がわからないのかわからないあれね。思いついたことしか喋らないから、ずっと一人でやってたん。事実は言われても気にならないよ」
 可哀想なくらい震えるひなたの頭をぽんぽん撫で、視線だけ彼方へ向けられる。
「多分ー、ひなたちゃんが言ってるのは適性の話だと思うんだけどね」
「あ、はい、そうです。メモリアは人を選ぶ。人がメモリアを選ぶとも言われていますけれど、結局よくわかんないんですよね武器のことって」
「あれはねぇ……」
 璃々が立ち止まり、つられて二人も足を止める。
「まぁいっか。はいこれ持ってみて彼方くん」
「あ、え、どこから……?」
「さあ?」
 答える気はないのだろう。大鎌はなくなり、代わりに握られていたのは小ぶりのナイフ。
 渡されたそれを言われた通り握ったけれど、なんとなく不快感を感じただけで何も起こらない。
「どう? 何か感じる?」
「や、特に……。ちょっと気持ち悪いなぁってくらいで」
「その気持ち悪いが相性の悪い証拠だわボケ。気付けばーか」
「お前マジで口悪いな!?」
 威嚇し合う二人を見て璃々が「犬……?」と呟いたが二人の耳に入ることはなかった。
 まあいいかと気を取り直し、璃々が彼方へてのひらを向ける。
「はいそれ返して」
「はい、どうぞ」
 手渡したナイフは、その場で消えた。
 目をまんまるにした二人だったが、ひなたは興味津々の視線を。彼方はここしばらくの付き合いによる賜物か、考えるのをやめた。
 ナイフの代わりに現れたのは大鎌。
「ひなたちゃんがどこまで実力を持ってるのかは知らないけれど……。メモリアはね、相性がよければよいほど力を発揮する」
 ぶん、と振り下ろされた大鎌から何かが放たれ、次には数メートル程離れた壁が音を立て崩れる。
 粉々になったコンクリートと埃がもやもやと舞い上がる。
 その先に、何かが居る。
 視界が晴れたときそこに居たのは、上半身が蛇、下半身が人間という奇妙な生き物だった。
「こんなふうにね。逆に、相性が悪ければ何の力も発揮しないどころか体調不良になる人もいる。さ、お勉強はおしまい。やっておしまい!」
「あいあいおやび、えっ俺も動いていいんですか?」
「まーあ……。私からしたら弱いし、あいつ。やばくなったら助けるね~! がんばえがんばえ~!」
 うそでしょ。響きの異なる音がが二つ重なる。
 相変わらず璃々はむちゃくちゃだ。それでも、やっと戦えることが彼方は嬉しかった。
 ちょっとした戦闘のコツなどは璃々が戦いながら、こういう時はこう。などと教えてくれているし、やれるとこまでやろう。
 拳を握り締めた彼方の腕を掴んだのは、ひなた。
「いやいやいや……弱くない、アレは弱くねーだろ! ズブの初心者以下のお前がつっこんでどうこうできるレベルかよ!」
「いやでも璃々さんがゴーサイン出したし……」
「ぐっ。璃々さんにも考えがあるかもしれないけど! あたしは反対だ! あたしにお前を守るだけの力はない! 目の前で人が死ぬのは御免だ!」
 ギィン、音が響く。
 咄嗟に後ずさりそちらを見れば、璃々が大鎌で蛇の牙を受けていた。
 蛇の先にいるのはひなた。狙われた彼女は、悔しそうに唇をかみしめている。
「早速手を出す事態に陥らないで、頼むから。ひなたちゃんは五年もやってるでしょう。他人を見て動きなさい」
 大鎌を一振りするより先に同時に蛇人間が後ろへ跳んだ。一瞬遅れ、ぶんっと風を切る音が響き渡る。
 至近距離で振るわれた大鎌から放たれた風圧が髪を揺らし、二人は思わず息を呑んだ。筋肉なんてなさそうな細腕で、どうやってあの風圧を作り出すのか。
「避けられちゃった。萎えぽよぽよだからあとがんばえ~。大丈夫、後方師匠面で見守ってるからね!」
「後方師匠面イズ何! あと璃々さん絶対本気じゃなかったですよね! 教えるの苦手な理由絶対その放任とスパルタ主義ですよね!」
 獅子は子を崖から突き落とす。
 璃々のやっていることはまさにそれだ。
 蛇人間はこちらの出方を伺っている。視線の先にいるのは璃々で、彼女の動きだけを気にしているようだ。
 そんな蛇人間から視線は外さず、璃々の言葉を待つ。
「わかるそれな! てかそれな! ……ま。ちゃんと助けるから、好きにやっちゃいな」
 凪いだ声には絶対的な自信があった。
 普段はともかくやる時はやる女。
 それが、彼方の思う青葉璃々だった。
「あいあい師匠! 後方で師匠面しといてくださいね! おらやんぞひなた!」
「お前、お前マジか!? 無知にも程が、突っ込んでいくな!」
 拳を握り蛇人間へ突っ込んでいく彼方へ、ひなたは盛大な舌打ちをかました。